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JAMCO オンライン国際シンポジウム

第19回 JAMCOオンライン国際シンポジウム

2010年2月1日~2月28日

ドラマ映像の国際交流

[コメント] 中国における日本のテレビドラマ

崔 保国
清華大学新聞與伝播学院 教授、副院長

1.はじめに

 20世紀の70年代末から日本のテレビドラマが中国に流入し始め、現在で30年近くになる。70年代末に中国の政治経済における改革開放に伴って、中国の大衆文化市場も開放され始め、1979年の年末の日本のアニメ 『鉄腕アトム』によって、中国のテレビ画面上に初めて日本のテレビ番組が姿を現した。そして、『君よ、憤怒の河を渡れ』、『サンダカン八番娼館 望郷』、『人間の証明』等が20世紀の70年代末から80年代初めにかけて、最も早くに中国大陸に入ってきた外国映画となった。それ以後、多数の日本で制作された映画、テレビドラマ、アニメ等の映像作品が中国で上映、放送され、大きな反響を呼んだ。その流行の規模は驚くべきもので、中国社会と人々の生活に深く、巨大な影響を及ぼした。しかしながら、こうした日本の映像作品ブームも10数年しか続かず、90年代に入り、中国の国産テレビドラマの増加や観客、視聴者の細分化が進むと、中国市場に占める日本のテレビドラマの割合は低下し続け、90年代中後期から「新興勢力」としての韓国ドラマが中国でその影響力を拡大し続け、ブームを巻き起こし、中国の文化市場に激しく押し寄せた「韓流」を形成した。90年代後半から中国大陸での日本のテレビドラマの放送数は次第に減少し、その影響力も低下し、中国の主流のテレビチャンネルから姿を消して行った。
 中国大陸でかつて輝いていた日本のテレビドラマは、現在なぜこのように衰退してしまったのだろうか。日本のテレビドラマそのものの質に原因があるのだろうか、または中国の社会文化環境が変化したことによる結果なのだろうか。あるいはその他の原因があるのだろうか。こうした問いが本稿が扱う基本的な問題である。30年に渡る中国での日本のテレビ番組の放送とその及ぼした影響に関する調査分析を通じて、これらの問題について考えたい。

2.中国における日本のテレビドラマの起伏

 80年代から90年代にかけては、中国の国産テレビドラマの制作力が不足していたため、海外のテレビ番組が巨大な市場を占め、発展していた。各テレビ局が次々と海外のテレビドラマを輸入した主な理由には、テレビ番組を豊富にし、市場の需要を満足させると同時に、海外との文化交流の促進という面もあった。こうした背景の下、海外のテレビドラマは大量に中国市場に参入し、90年代後半にピークを迎えた。
 日本のテレビドラマが中国における輸入海外ドラマの中心となっていたのは、ほぼ10数年の間であり、特に1986-1996年の10年間がその黄金期であった。中国大陸での日本のテレビドラマ放送のピークは1993年で、以後は次第に減少していった。台湾の学者による統計によると、その後も小さなブームはあるものの、1993年の総放送数194回、総放送時間123.83時間の最高値を超えることはなかった。1993年から2005年の間では、1996年の総放送回数は84回、総放送時間は65.2 5時間しかなく、2000年の総放送回数は47回、総放送時間はわずか35.25時間、2003年の総放送回数は65回、総放送時間もわずか48.75時間であった1。1996年以降、大陸での日本のテレビドラマの総放送回数と総放送時間は明らかに減少している。それは中国大陸における日本のテレビドラマの繁栄から衰退という変化を明確に反映している。

日本のテレビドラマの中国大陸での総放送時間
中国の各テレビ局が放送した日本のテレビドラマの状況から見ると、30年の間、地方テレビ局が日本のテレビ番組の放送を続けており、中国での日本テレビドラマ放送の主力となっている。これとは対照的に、中央テレビ局による日本のテレビ番組の放送は変化が激しく、当初は日本のテレビ番組の主なプラットフォームとなっていた中央テレビだが、2005年以降、日本のテレビドラマの放送は減少している。
 このような現象が生まれた背景には主に二つの理由がある。ひとつは地方テレビ局のテレビドラマの制作能力は中央テレビに明らかに及ばないために、海外からテレビドラマを購入することが、チャンネルのコンテンツを充実させ、視聴率を上昇させる主な方法となっているためである。そしてもうひとつの理由は、放送番組の選択という面で、地方のテレビ局は中央テレビ局より自由があるという点である。中央テレビ局は多くの制約を受けており、また他のテレビ局よりもさらに主旋律(国家的イデオロギー)を広めるという任務を担わなければならないからである。
 21世紀に入ると、中国は政策的に海外のテレビドラマを制限し、国産テレビドラマの放送を保護するため、国産テレビドラマが夜のゴールデンタイムの主流となるようにした。この政策の影響によって、海外のテレビドラマ市場は縮小を続け、海外テレビドラマの中では、韓国のテレビドラマが日本のテレビドラマの市場シェアを上回った。『中国テレビドラマ市場報告』の資料によると、2002年に大陸の主要なテレビチャンネルで放送された海外テレビドラマランキングの中で、日本のテレビドラマの放送数は23作品で、香港、韓国、台湾、アメリカに続く5位であり、その年大陸で放送された全ての海外ドラマ総数のわずか7%を占めるに留まっている。ここからも、日本のテレビドラマの中国大陸での影響力の低下が明らかとなっている。
 2008年に中国大陸のテレビ局が夜間に放送した海外ドラマの題材という面から見ると、様々な国のテレビドラマが放送されており、その内容も豊富である。香港ドラマが22種類、台湾ドラマ16種類、アメリカドラマ15種類、韓国ドラマ13種類、シンガポールドラマ10種類、日本ドラマ9種類、インドドラマ5種類、イタリアドラマ4種類等となっている。
 海外ドラマの放送と視聴率という面から見ると、ある変化の痕跡が見られる。2008年には香港、韓国、アメリカ、シンガポール等のドラマが下降している。韓国ドラマは2005年の『チャングムの誓い』前後にピークを迎えた後は、次第に下降しているが、大きな影響力を保持している。香港ドラマの人気は高く、2007年から放送本数が海外ドラマの首位となっているだけではなく、視聴率も高い。香港ドラマのうち最も多く放送されているものは、都市の生活を題材としたもので、全体的に最も高い視聴率を獲得しているのは「当代伝奇」と呼ばれる、現在に起こる様々な出来事やそれをめぐる人々を描いたもので、アクション、人物伝記、サスペンス等を題材としたものが、海外テレビドラマ視聴率の上位4位に入っており、人気を博している。政策の緩和とサポートによって、台湾ドラマも大きな影響力を発揮し始めている。アメリカドラマは、スリリングで刺激的なストーリー、緻密で成熟した制作方法、実力派の俳優陣を備えているにもかかわらず、中国大陸ではさほどヒットしていない。そして逆に台湾、日本のテレビドラマの視聴率は再び上昇傾向にある。
 2008年の夜18時から24時の時間帯において、全国80都市での中国国産テレビドラマの放送の割合は84.76%に達し、中国のテレビドラマ市場を独占しており、2007年と比較し2%増となっている。2008年は計18か所で制作された海外ドラマが放送され、残りの15.24%を分け合っている。このうち、香港(5.41%)、韓国( 4.54%)台湾(3.61%)、日本(0.44%)の割合を占めている(表1)2。こうしたデータから中国大陸における日本のテレビドラマの影響力の衰退が見て取れる。
表1  2008年製作地によるテレビドラマの放送比率(80都市18:00-24:00)
3.中国における日本のテレビドラマの影響

 中国での日本のテレビドラマの放送と影響の状況は、中国の改革開放の歩みと密接に関係していると言える。1980年からこの30年の間、大陸の各テレビ局で放送された日本のテレビ番組には、主にテレビドラマ、アニメ、特集番組、シリーズ番組、バラエティー番組等があるが、その中でテレビドラマとアニメが最多となっている。本稿では主にテレビドラマとアニメという二種類の番組に注目し、その放送状況、視聴状況、社会的影響という角度から、30年の間日本のテレビ番組が中国社会へ与えた影響を考察する。
 20世紀の80年代に、海外のテレビドラマが大規模に中国に流入し始めた。早期に放送された日本ドラマには、『おしん』、『赤い疑惑』、『燃えろアタック』等がある。中国の多くのバレーボールのスターは、『燃えろアタック』の粘り強く努力する小鹿純子の精神に影響されてバレーボールを始めているし、また多くの中高年は現在でもいまだに『赤い疑惑』のストーリーをはっきりと覚えている。日本の映画やテレビのスターである高倉健、中野良子、栗原小卷、荒木由美子、山口百恵、三浦友和等は中国の視聴者に深く愛されている。日本ドラマブームは中国を席巻しただけでなく、アジア全体にも大きな影響を与えた。
 中国の大衆文化が次第に発展してくると、1992年から日本のトレンディードラマが中国の各大都市で急速にその人気を高めた。『東京ラブストーリー』等の多くの日本のトレンディードラマが中国において、ファッショナブルで、現代的で、都会的であることの代名詞となった。日本のトレンディードラマの流行は、香港のフェニックステレビが放送した日本の連続テレビドラマを専門に放送する「偶像劇場」から始まり、日本ドラマは「青春偶像劇」として有名になり3、日本のトレンディードラマが中国で初めて喝采を浴びた。1992年から日本で新しいトレンディードラマが放送されると、中国大陸や台湾、香港にすぐに持ち込まれた。『東京ラブストーリー』、『ひとつ屋根の下』、1996年の『ロングバケーション』、1997年の『ラブジェネレーション』、1998年の『GTO』、2000年の『ビューティフルライフ』等は全て美男美女の俳優、女優が演じ、ファッショナブルな包装に包まれ、洗練されていながらも痛ましい美しさをもったストーリーによって、多くの中国の視聴者に好まれ、彼らの涙を誘った。この時期、中央テレビ局が放送したものには『北の国から』、『すずらん』、『星の金貨』等がある。また、日本のスターである木村拓哉、松たか子、竹之内豊、常盤貴子、滝沢秀明等は中国各地で人気になり、多くの中国の若者のあこがれの対象となった。これらの日本ドラマは知らず知らずのうちに中国の流行文化に影響を与え、中国の若者の中に“哈日族”を誕生させたりもした。

4.中国における日本のテレビ番組の視聴者層

 80年代初期、中国の民衆は社会主義の計画経済体制の下、依然として生活レベルは低かったものの、ストレスはあまりなく、余暇の時間も多かったが、消費できる文化製品は少ない状況にあった。そのため、当時の日本の映像作品が中国に入ってくると、中国国民の全体的な人気を集めた。80年代は、中国における日本映像作品の国民的消費時代であったと言える。90年代初頭からは、中国の市場経済の発展に伴って、社会文化が多元化し始め、受け手の細分化が進むと同時に、文化製品もさらに豊富になり、多様化を遂げた。こうした要因も日本のテレビ番組が90年代中後期に中国の市場で変化した原因となった。
 日本の二人の学者、原由美子、塩田雄大が1999年に行ったあるサンプリング調査によると、中国大陸の75%の人が『赤い疑惑』を、72.6%の人が『おしん』を、57.2%の人が『燃えろアタック』を、40.3%の人が『姿三四郎』を、33.2%の人が『東京ラブストーリー』を見たことがあるという4。また『おしん』は台湾でも30%の視聴率を記録した。『鉄腕アトム』、『ジャングル大帝』、『ドラえもん』、『ドラゴンボール』、『スラムダンク』、『ちびまる子ちゃん』、『クレヨンしんちゃん』等のアニメや、宮崎駿のアニメ映画『風の谷のナウシカ』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』等も中国の若者に深く愛されている。『赤い疑惑』、『おしん』、『燃えろアタック』等の日本のテレビドラマの中国の消費者層は包括的なもので、老若男女、労働者、農業従事者、商業従事者、学生等の各職業の各年齢をほぼ含んでいる。80年代の中国での日本の映像作品ブームは当時の日中関係の黄金時代の縮図であると言える。素晴らしい映画、テレビドラマ、心に訴えるストーリーや人物は、日本に対する人々の見方に影響を与え、日本による中国侵略という不幸な歴史をほとんど忘れさせるほどであった5。そして日本の映像作品の輸入によって、当時の中国の視聴者は初めて西側の世界や生活を目にした。また、日本のテレビ番組は台湾、香港でも多数の視聴者を獲得した。
 長期に渡って、中国大陸での日本のテレビ番組の主な放送プラットフォームは各省のテレビ局であった。2003年以降、中央テレビ局も日本のテレビドラマをいくつか放送し、日本のテレビドラマの地位は上がったかのようにも見える。これは中央テレビ局が1990年にテレビドラマチャンネルCCTV-8を開設したためである。このチャンネルの『海外劇場』という番組が、海外のテレビドラマの放送に場を提供することとなった。しかし、韓国ドラマの放送本数と比較して、この番組内で日本のテレビ番組が占める割合は低いものとなっている。
 かつて日本のテレビ番組は多くの中国の視聴者が「最も愛する」ものであったが、日本のテレビ番組はここ10年間の間に中国のテレビ画面上では、主流番組から周辺的な存在へと次第に向かっていき、視聴者層も全体的なものから、若年層を中心とした特定の層へと縮小していった。しかしながら、日本のテレビ番組の中国テレビ市場での地位と、中国の視聴者への影響は依然として軽視できるものではなく、今でもなお時にブームが出現する。中央テレビ局が2005年に得た日本の有名なテレビドラマ『白い巨塔』が、2006年3月に中央テレビ局の第8チャンネルで放送され、多くの中国の視聴者から好評を得ており、『白い巨塔』は再び日本ドラマブームを起こしたと言える。その他にも、2006年4月5日からは湖南衛星放送が『おしん』の再放送を開始した。当初は20数年前の古いドラマが今も十分な魅力があるかどうか疑問に思う者も少なくなかったが、実際、放送開始後から視聴率は安定して上昇を続け、4月13日には全国の視聴シェアは5.79%にまで達し、全国の同時間帯の視聴率トップに躍り出た。これは2006年以後、中国の主流テレビ上で日本のテレビドラマが再び復活したことの現れである。

5.日本ドラマの中国社会の変革への影響

 テレビドラマの経済、社会、文化への影響という点から見ると、日本のテレビドラマは中国社会の転換と経済の変革時期における独特の文化現象となり、中国の経済発展、社会転換、ライフスタイルや価値観の変化等に大きな作用を及ぼした。
 近代以来、日中の文化交流はめまぐるしく変化し、複雑に錯綜する様相を呈している。中国が改革開放を実行してから、まず経済から日本は中国に影響を与えた。中国の改革開放の契機と啓示の一部は日本から得たと言える。1979年鄧小平が日本を訪問したことがターニングポイントとなったからである。中国の現代化建設のモデルの相当部分が日本の影響を受けている。当時、中国と日本はそれぞれ異なる二つのイデオロギー陣営に属していた。中国では、「文化大革命」が終了して、国家の門を開け、自身の近隣国である日本の現代化の程度の高さに気付き、中国の指導者を驚かせ、また、事実に基づいて日本に学び、日本を手本としたいとの望みが生まれた。また当時の日本も積極的に中国を助けるよう努力したいと願い、日中関係の 「蜜月期」が形成された。
 1980年以後、映像作品を中心とする日本文化が伝わったことで、中国の民衆が日本の先進技術と工業製品を受け入れやすくなるという思想面、感情面の土台が形成されていた。例えば東芝、日立、シャープ等の日本の家電製品は、80年代の中国の改革開放の初期において、『君よ、憤怒の河を渡れ』、『サンダカン八番娼館 望郷』、『赤い疑惑』、『燃えろアタック』等の日本映画やテレビドラマと共に相次いで中国に入ってきた。日本の映画、テレビスターである高倉健、中野良子、荒木由美子、山口百惠等によって、中国人が日本人に対して長期に渡って抱いていた「鬼子」のイメージが、愛すべきものであり、正義感を持っているというようなイメージへと大きく変化した。90年代以降になると、日本文化の中国への影響は、経済、社会等の領域でさらに拡大し、カラオケやソニー、パナソニック等の日本の電気製品、ホンダ、トヨタ等の日本車、和食等が中国を風靡した。
 中国での日本のテレビドラマの文化的伝播や影響は、客観的に見ても、両国の経済分野における協力や交流を促し、両国の相互の信頼を高め続け、両国間のわだかまりをなくし、誤解を減少させ、お互いの理解や信頼を高めるのに重要な作用を及ぼし、資金、技術、商品、人々の国境を越えた流動をもたらした。それにより両国の経済貿易関係の発展の基礎も強固にした。

6.日本ドラマによる大衆文化や価値観への影響

 1980年から現在までに中国の大衆文化は、空前の、画期的な変革を経てきた。文化製品の商業化、市場化、多元化はこうした変革による明らかな特徴である。海外テレビ番組の輸入を見ても、輸入海外番組の番組全体に占める割合は高まっている。これらの輸入番組の中では、娯楽番組が多く、その中でも映画やテレビドラマが最多となっている。
 文化は民族性を反映する。日本文化は東西の文化の精髄が凝縮した日本独自の文化的特質を備えている。日本の映像作品が大量に放送され、中国に「日本文化ブーム」が形成され、テレビドラマ『おしん』での勤労、奮闘の精神や、『東京ラブストーリー』の様なトレンディードラマに現れる日本人の仕事への熱心さ、チームワークを重んじる精神等を中国人は称賛し、学んだ。中国の改革開放の30年は、伝統的農業経済から現代的工業経済への転換、計画経済から市場経済への転換、伝統社会から現代化社会への転換から成っている。こうした社会の大転換に伴い、人々のライフスタイル、言動、価値観、文化的観念に巨大な変革が訪れた。外国文化による衝撃は、国民を当時の閉鎖的で、膠着化した状態から思想的に開放し、新しい考えの開拓の面で、大きな促進作用を及ぼした。

7.日本ドラマの中国の映像作品創作への影響

 また、日本の映像作品が中国に入ったことで、転換期にあった中国の映像作品創作は多くの啓発を受け、新たな発展の方向性を模索することになった。中国の映像界はソ連の映画モデルからの影響を脱却し、ハリウッド映画や日本映画を受容し、学び、模倣した。多くの若い世代の中国の監督は、ハリウッドモデルや日本映画モデルの影響を受けている。チャンイーモウ(張芸謀)、チェンカイコー(陳凱歌)を首とする「第五世代」や、シュージンレイ(徐静蕾)等の第六世代の映画作品には、それぞれ日本映画の痕跡が見てとれる。特に黒澤明の映画は、中国映画に重要な意義を持つ影響を与えた。黒澤明という映画の大家による映画理念や技巧は、中国の映画学校の撮影の授業で手本とされ、中国の著名な監督が映画を監督する際にも用いられている。中国映画の大作の中にも、黒澤明の芸術理念や映画の手法を参考にし、学んでいるものは少なくない。
 中国のテレビドラマ創作に対して日本のトレンディードラマが与えた影響は画期的なものであったとさえ言える。1992年、日本のトレンディードラマ『東京ラブストーリー』がまず中国で大きな反響を呼び、「偶像劇」放送の先駆けとなり、続いて『ロングバケーション』、『ビューティフルライフ』等の日本ドラマが視聴者をひきつけ、日本ドラマブームが続いた。しかし日本が制作したトレンディードラマを最も早くから学び、模倣した国家は韓国であり、また、韓国ドラマブームが引き起こした文化拡大効果も、中国の視聴者やテレビ関係者に多くの有益な啓示を与えた。そして日本ドラマは中国の一般視聴者のライフスタイルや審美感に影響を与えたと同時に、テレビドラマ制作そのものや制作者へも重要な影響を与えた。台湾が撮影した『流星花園』は中国で最も人気を博した「偶像劇」6となり、このドラマが高視聴率を獲得したことで、一時テレビ制作側は「偶像劇」を切り札としたりもした。しかし興味深いことに、『流星花園』は神尾葉子が日本の漫画雑誌『マーガレット』に連載していた『花より男子』を台湾の制作者がドラマ化したものであるため、実際には『流星花園』は単なる「日本ドラマ」の台湾版に過ぎないのである。

8.「哈日族」-日本ドラマの中国の若者への影響

 日本の偶像劇が中国の若者の間に引き起こした所謂「哈日」現象は、日本の映像文化の伝播が中国にもたらした影響を反映している。グローバル化を背景にした中国社会の変遷は、伝統と現代の衝突であり、先進と停滞の対峙であり、中国と外国文化の衝突と融合であった。日韓の映像作品、流行音楽、流行文化が大挙して訪れ、中国の若者層にいわゆる「哈日族」、「哈韓族」現象が誕生した。「哈日」、「哈韓」は流行概念であるだけではなく、重要な意義を持っており、日韓の映像作品の中国での伝播という面で、同様に避けては通れない研究課題となっている。
 この「哈日」ブームはまず台湾から始まり、90年代に有線テレビが日本のトレンディードラマを放送したことから始まった。「哈」は本来閩南語で、「熱心に愛する、渇望する」という意味を表し、「我很哈你」は「私は狂いそうになるほどあなたを得たい」という意味になる。2003年1月に商務印書館が出版した新版語文辞典には、「哈日族」が、「波波族(Bobos)」、「街舞(ストリートダンス)」、「韓流」等の新しい最近の流行語とともに収録されている。
 にぎやかな大都市であれ、辺鄙な田舎であれ、次のような青年を目にすることがある。年は17、18歳で、「クール」なファッションをし、大変「独特」である。髪の毛をカラフルな色に染め、地面につくほど長いズボンをはき、かばんには木村拓哉や、アン・ジェウク、ペ・ヨンジュンのバッジをつけ、何事も気にせず、関心をもたない様子である……彼らこそがここ数年に急速に生まれた「哈日」、「哈韓」一族である。「哈日族」にとって、和食、刺身、海苔巻きを食べたり、日本酒や梅酒を飲むことは日常生活の一部である。彼らは日本のテレビドラマ、映画、文芸作品に夢中になり、日本の東京にある原宿や、大阪、京都に旅することを夢見ている。ある調査のデータによると、「「哈」流行の影響を最も深刻に受けているのは、中学生から高校1年生、2年生の段階にあたる若者である。当然これは、彼らの年齢的特徴や、流行に接する機会や時間が多いことと関係している」 7。

9.日本アニメの中国への影響

 日本のアニメは中国のテレビ市場だけではなく、世界のテレビ市場においても強力な競争力を備えている。手塚治虫の『鉄腕アトム』に始まり、日本アニメは世界的にその優位性を確立している。これらのアニメは、そのテーマは幅広く、想像力に満ちており、魅力的なストーリーで、精巧に制作されているため幅広い年齢層に受け入れられるものとなっている。『花の子ルンルン』、『一休さん』から近年の『千と千尋の神隠し』に至るまで、日本アニメは中国大陸の数世代に渡るテレビ視聴者をひきつけてきた。
 児童や小中学生は中国での最も主要かつ安定した日本アニメの消費者層である。80年代の学齢前の児童や小学生は『一休さん』、『鉄腕アトム』に親しみ、90年代の児童や学生は『ちびまる子ちゃん』、『クレヨンしんちゃん』に親しんだ。新世紀に入ってからは、宮崎駿のアニメ映画『千と千尋の神隠し』、『紅の豚』等が、児童だけではなく多くの中国の成人をもひきつけた。日本の『ドラえもん』は各時代の児童に最も親しまれ、多くの文房具やおもちゃ、衣服にデザインされたり、各種のゲームが開発された。これらから、日本アニメの中国の児童や青少年に対する影響力やその魅力が分かる。
 現在中国は、世界最大のアニメ消費市場となりつつある。中国の14歳以下の児童は3億人以上で、これは世界最大であり、最も固定したアニメ産業の消費者層である。しかしこのように巨大な市場を有しながら、中国国産アニメは極めて少ない。『漫動作』の統計によると、中国の青少年が最も愛する20のアニメキャラクターのうち、19が日本のもので、中国アニメは孫悟空のみであった8。また、「中国の青少年が最も愛するアニメ作品においては、日本アニメが60%を占め、欧米アニメが29%、中国国産アニメは香港、台湾地区を含めても11%しかなかった」9。その理由はその他の地区で制作されたアニメより、日本アニメの人物設定や、ストーリー、画質が良質だからである。
 中国の多くのテレビ局にとって、日本アニメの輸入とその放送は、現在でも依然として高視聴率を獲得し、放送効果を高めるのに効果的な方法である。しかし、近年の中国のアニメの輸入に関する政策による制限によって、中国での日本アニメの輸入や放送は全体的に下降傾向にある。図2が示すように、1986年から2005年の20年間に中国大陸で放送された日本アニメは1999年にピークを迎えてからは減少傾向にある。その間にも一定の高まりは出現しているものの、1999年の放送総数476回、総放送時間158.67時間を超えることはなかった。
表2 1986年-2005年の間に中国で放送された日本のアニメ総本数  2008年製作地によるテレビドラマの放送比率(80都市18:00-24:00)
 また、注目すべき変化のひとつに、ここ数年中国での日本アニメの放送プラットフォームが変化していることがある。中央テレビ局は、一度は中国における日本アニメ放送の主要なプラットフォームであったが、次第にこの状況が変化している。特に1994年から、各省のテレビ局が日本アニメの放送の主要なプラットフォームとなり、中央テレビから日本アニメは基本的に姿を消した。

10.中国における海外テレビドラマの輸入政策の変化

 なぜ中国において日本のテレビドラマの放送と受容はこのように大幅に変化するのだろうか。如何なる要素が日本のテレビ番組の盛衰に影響しているのだろうか?
 日本のテレビ番組が中国で流行した最大の理由は、当然のことながら日本のテレビ番組の質と制作レベルの高さにある。80年代から90年代前半において、中国でのテレビ番組の制作はあまり発達しておらず、生産本数が深刻に不足していたために、放送時間を埋めるため海外のテレビ番組が大量に必要とされていた。また、審査基準も厳格でなく、テレビ局はどんな海外のテレビ番組も購入することができた。90年代後半になると、中国のテレビ市場において、海外の輸入テレビドラマの放送がピークとなり、1999年に中国国家ラジオ映画テレビ総局が許可した輸入ドラマは216作品、1,543話に上った。当時の規定によると、輸入テレビドラマの総数は国産テレビドラマ総数の25%以内に制限されていたため、大陸との共同制作という方式で中国に入ってきた海外ドラマもあった。1999年に政府が審査の上許可した共同制作によるテレビドラマの「発行許可証」は41作品、763話であった。
 中国で日本のテレビドラマが衰退していった重要な原因のひとつは、中国のテレビ番組市場の構造の変化である。中国国産のテレビドラマの発達、香港、台湾、韓国、欧米などのテレビドラマとの競争の結果、中国大陸における日本のテレビドラマの影響力は減少していった。特に近年、韓国のテレビドラマが大変な勢いで大陸市場に流入してからは、韓国のテレビドラマが日本のテレビドラマの主な競争相手になっただけではなく、市場における競争力は日本のそれを超えた。日本のテレビドラマと比較して、同じ様なラブストーリーや同じ様なトレンディードラマでも、韓国ドラマはさらに深みがあり、東方伝統文化や道徳的解釈という面において、日本ドラマよりもさらに大陸の視聴者、特に若者の視聴者に受け入れられやすいものとなっているのである。
 もうひとつの原因としては、デジタル技術、特にインターネット技術の発展が人々の視聴方式に与えた変化がある。例えば、VCD、DVDやBT等のインターネットからのダウンロードの方式が誕生したことで、人々のテレビ番組を視聴する手段がさらに多様化し、選択範囲も広まった。テレビ局が経営問題を考慮する際、各社はまずテレビ番組市場での人気、視聴率、広告を考慮しなければならない。視聴率の低い作品は自然と輸入、放送されなくなる。
その他に、中国の日本のテレビドラマの輸入に影響する要因として、日中関係の問題を指摘しておかなければならない。まず、日中両国間の歴史問題がいまだ解決しておらず、中国国民の反日感情は高まっており、このために日本の文化製品に反対する態度を示す人は少なくない。
 また、当然のことながら、海外のテレビ番組の輸出入に影響する主要な要因として、中国の海外テレビ番組輸入に対する政策による全体調整がある。中国大陸における海外のテレビドラマの輸入、放送に関係する政策や法規は、日本のテレビ番組が順調に中国の文化市場に参入できるか否かの最大の前提であり、かつ条件である。
 国産テレビドラマの発展の保護、テレビドラマの放送プロセス等の規範化などの多くの要素を考慮し、中国国家ラジオ映画テレビ総局は続々と政策法規を発布し、テレビドラマの輸入そのものや、テレビ番組の輸入本数、ルート、テーマ等を限定し、海外のテレビドラマの輸入や放送を次第に制限している。
 1994年2月3日、当時のラジオ映画テレビ部は「海外テレビ番組の輸入、放送に関する管理規定」を発表した。この新しい政策は、各テレビ局が毎日放送する番組の内、海外のテレビドラマはテレビドラマ総放送時間の25%を越えてはならず、その内ゴールデンタイム(毎晩18時から22時)は15%を超えてはならないと規定した。この政策の影響を直接受けて、大陸における日本のテレビドラマの輸入本数は急速に減少していった。
 2000年1月、当時のラジオ映画テレビ総局は再び二つの法令を続けて発布した。そのうち、「テレビドラマの輸入、共同制作、放送管理をさらに強化することに関する通知」は、輸入ドラマの制作地とそのテーマへの制限を強化し、同じ国家や地域、あるいは題材が重複するテレビドラマが集中することを避けると明確に規定した。各テレビ局、ケーブル放送のテレビ局は毎晩19時一21時30分までは、ラジオ映画テレビ総局が放送を許可した輸入ドラマ以外は放送してはならないとした。また、同通知はさらに一歩進んで、同一輸入ドラマを3か所以上の省のテレビ局の衛星番組チャンネルで放送してはならないと規定した。また、ラジオ映画テレビ総局が同時期に発布した「省のテレビ局の衛星番組チャンネルの管理工作を強化することに関する通知」の中では、更に毎晩の海外ドラマの放送制限が行われる時間帯を拡大し、毎晩18時から22時の時間帯に海外ドラマを放送する割合は必ず5%以内に制限し、その内、19時から21時30分は、ラジオ映画テレビ総局が放送を許可した以外の輸入ドラマは放送してはならないと明文化した。2000年6月、ラジオ映画テレビ総局は再び「テレビドラマ管理規定」を発布した。この新しい政策は、テレビ局が毎日放送する番組の内、輸入ドラマはテレビドラマの総放送時間の25%を超えてはならず、その内ゴールデンタイム(毎晩18時から22時)は15%を超えてはならないと規定した。これら一連の海外のテレビ番組の輸入と放送に関する新しい政策は、テレビドラマの輸入本数、ルート、題材の各方面に大きく影響し、それらを制限した。これらの政策は日本のテレビ番組の輸入に関してのみ制定されたものではないが、日本のテレビ番組の輸入と放送に大きな影響を及ぼした。

11.終わりに

 以上30年間の日本のテレビドラマの中国での放送状況や影響の分析を通じて、それには大きな起伏があることが分かる。日本のテレビドラマはかつては中国で輝きを放ち、多大な影響を与え、中国社会の現代化の歩みにプラスの推進作用を与え、日中関係を改善し、両国の人々の理解や感情面で大きな作用を発揮したが、ここ10年は、中国における日本ドラマの放送や影響力は大幅に減少している。
 全体的に見て、中国における海外ドラマの中で、日本のテレビドラマはすでに最も影響力のあるテレビ番組ではなくなっているが、中国の多くの視聴者に対するその影響力は依然として深く、長く続いている。大衆メディアは社会、政治、経済、文化の発展に相当な影響を及ぼすだけでなく、同時に社会、政治、経済、文化等の各要素による影響や制約を深く受ける。日本のテレビドラマの中国市場での起伏に最も影響するのは、中国のメディア政策と海外テレビドラマの輸出入の制限である。また、日中関係や歴史問題でのわだかまりも、中国の民衆による日本のテレビドラマの視聴に大きな影響を及ぼしている。しかし、日本アニメは中国大陸のテレビ市場でも依然として高い影響力を保持している。央視索夫瑞公司による2009年『中国テレビ視聴年鑑』の視聴率によると、日本ドラマはここ数年中国で再び伸びており、2008年に『大奥』が湖南衛星放送で放送されると、業界内で大きな反響を呼び、日本ドラマの復活を盛り上げた。中央テレビ局の8チャンネルで放送されたホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』シリーズは全国80都市で高い視聴率を獲得しており、この他にも、社会倫理を描いたドラマ『医龍』、都市生活を描いたドラマ『ママの遺伝子』等も一定の社会的影響を与えている。



1. 施唯:「大陸進口日本電視節目的変化及原因」、『中共研究』42卷1期2008.1

2. CSM央視索夫瑞:『2009中国電視收視年鑑』

3. 中国語ではトレンディードラマは「偶像劇」と呼ばれている。「偶像」は中国語でアイドルを指し、そのため中国語の「偶像劇」には日本のトレンディードラマだけではなく、アイドルが出演するテレビドラマも含まれる。

4. 李文:『東亜合作的文化成因』、世界知識出版社、2005年、P183。

5. 温朝霞:『1980年后日韓影視劇在中国的伝播』、暨南大学博士論文。

6. 注3.参照。

7. 温朝霞『1980年后日韓影視劇在中国的伝播』、暨南大学博士論文。

8. 江錫民「神奇動漫:千億商機蓄勢待発」、『市場報』2005年6月22日。

9. 洪巧俊「人才济济 中国動漫為什麼做不大?」、『中国青年報』2005年4月29日。

崔 保国

清華大学新聞與伝播学院 教授、副院長

1962年、徐州生まれ。日本東北大学大学院博士課程修了。 2001年より現職。2005年より兼任清華―日経メディア研究所所長。 専門はメディア論、メディア産業論、情報社会論。 著書に『中国メディア青書』(2004-2009年毎年1巻)、『日本の大手新聞社』、『メディア変動と社会変遷』、『情報社会のモデル』などがある。

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