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JAMCO オンライン国際シンポジウム

第22回 JAMCOオンライン国際シンポジウム

2014年3月~12月

アジア太平洋地域のテレビ局とインターネット

[討議1]インターネット時代のテレビはどこへ向かっているのか
-アジアの現状を把握するためのメディア論的文脈-

小林 宏一

1. はじめに

アメリカでテレビ本放送が開始されたのが1941年であるから、テレビ・メディアが、私たちの日常生活に埋め込まれ「テレビ時代」あるいは「映像の時代」として、人間コミュニケーション史における一つの「画期」を成すまでに70年余を要したことになる。ところが、ここにきて、インターネットとその関連技術領域における多様かつ急速なイノベーションを契機として、他ならぬテレビの世界に大きな地殻変動が生じつつあるかに見える。この小論では、パラダイムシフト期を迎えたとも考えられるテレビの変容動向をグローバルに概観しつつ、その文脈のもとに、今回のウェブ・シンポに寄せられたアジア各国からの報告を位置づけてみたい。


2. インターネット-知の流通革命をもたらすもの

本論のメインテーマに入る前に、確認しておきたいことがひとつある。それは、メディア史の観点から見て、インターネットの画期性はどこに求められるかということである。この問い関しては、大きく言って以下の二点、すなわち、インターネットが、

  1. いままで無かった多様なコミュニケーション営為を新たに可能にしていることと
  2. 従来からあったコミュニケーション活動(ビジネス)に変容を迫りつつ、新たな可能性(既存プレーヤーに対しては新たな脅威ないし挑戦)をもたらしていること

という二つの局面に分けて検討しておく必要がある。

まず、第一の画期性については、たとえばウィキペディアにみられるように、全く新しい知のコラボレーションから、いままでなかった情報財が生み出されているといった事例、あるいは、これまた、いままで考えられなかったような人間の組織化を可能にし、新たな情報発信活動や社会運動を触発している様々なソーシャル・メディアの役割といった事例を想起してみれば良いだろう。このように、インターネットは、一方でインターネット固有の文化(知的コンテンツ)やコミュニケーション関係を創出していることは間違いない。

ただ、本論との関連で注目しなければならないのは、第二の画期性、すなわち新たな文化やコミュニケーション関係を生み出すというよりは、従来から営まれてきたコミュニケーション諸活動、さらには、そこから生み出される情報材の再編制(reconfigurate)を促すというインターネットのメディア特性である。この点を、以下で少し敷衍しておきたい。
グーテンベルグの印刷機以降、私たちのコミュニケーション活動に組み込まれてきた様々な情報通信技術は、情報財の生産(上流)から流通(中流)を経て消費(下流)に至る、個々のメディアに固有な一貫したシステムを形成し、独自の文化の創出に寄与してきた。たとえば、出版文化は出版社から書店を経て読者へ、映画文化は映画スタジオから映画館を経て観客へ、放送は放送局から伝送ネットワークをへて視聴者(受信装置)へ、といったかたちで媒介されてきたといった具合に、である。

しかし、インターネットの(第二の)画期性は、従来のメディア技術とは趣を異にし、それが、いわば知のプラットフォームとなること、言い換えれば、これまで、個別メディア・システム上で開花してきた諸文化活動を、従来の縦割り構造の枠組みを乗り越え、縦横に交差させる場であること、別の見方からすれば、インターネットに接続された装置であれば、どのようなものであれ、原理的に、新聞も、映画も、テレビも享受できるという点に求められるのではないだろうか。
インターネットというプラットフォーム上で新たな可能性を追求しようとする新旧プレーヤーたちは、個別メディアのもとでこれまで培われてきた文化を、今ひとつの新たな流通系=インターネット上で再流通(再販)させる、さらに拡大する、ないしは転態(reconfigurate)させ、新たな付加価値を増殖させるという、新たな挑戦に挑みつつあるということなのである。

こうしたなかで、これまで、既存新聞社は電子-新聞への対応に、出版社は電子-ブックへの対応に迫られてきていると同時に、それぞれの文化領域への新規参入者も、また、文字通り同じ土俵の上で、場合によっては新たなビジネス・モデルを編み出しながら、既存メディア勢力と競ってきているといえよう。
そして、近年に至り、テレビ(ビデオ・サービス)の世界もまた、

  1. インターネットのブロードバンド化
  2. ストリーミング技術の技術革新
  3. 劇的なコスト安を実現した蓄積(サーバー)技術

を背景にして、これから見ていくような構造変動期を迎えつつある。

ここまで述べてきて、とりあえず確認しておくべき重要な点は、インターネットが浸透していったとしても、当面、映画文化、出版文化、新聞ジャーナリズム、放送文化といった、20世紀に確立したマスメディア文化そのものが、早々に否定されるわけではないということである。たしかに(アメリカで顕著にみられるように)旧来からの新聞社は破綻に追い込まれているという事態は顕在化しているが、ジャーナリズム(ジャーナリスト)の役割が否定されているわけではないし、また、様々な「テレビ離れ」現象が指摘されてはいるものの、人びとのテレビ(的)文化への嗜好には、依然として根強いものがある。したがって、いま問われていることは、インターネットという壮大なプラットフォームを前にして、映画文化、出版文化、新聞ジャーナリズム、テレビ文化といった旧来知を、誰が、どのようなビジネス・モデルで活性化・再活性化させていくかということになってくる。


3. インターネットはテレビにどのような変容をもたらしているか

では、インターネットの拡張過程の中で、テレビ・メディアは、どのような構造変動、「活性化・再活性化」の途をたどり始めているといえるのだろうか。この問いに関し、まず、システムの「下流」に位置する視聴者を取り囲むテレビ(ひいてはビデオ)享受環境に目を向けて考えてみるならば、それは、”TV Anytime”、“TV Anywhere” 環境の瞠目すべき進化というふうに概括できよう。

昨年5月、ニューヨーク・タイムス電子版に「TV・オン・デマンドを受け入れ始めた視聴者」*1という記事が「掲載」されている。記事の概要は、当初、ケーブルテレビやテレビ・ネットワーク当事者の判断ミスや技術上の制約もあって、一部の例外を除き魅力的コンテンツに欠け、ビジネス的に見ても第二義的価値しか付与されてこなかった従来型ビデオ・オン・デマンド(VOD)サービスが、ここにきてそのサービス・ラインナップに、放映後間もないテレビのプライムタイム番組が多彩に加えられ、ユーザーの支持が高まるなかで質的な転換をとげているというものであった。この記事にさりげなく記されているエピソードだが、本論の観点から見て興味深いことは、VODサービスの充実をうけて、ユーザーが、これまで自ら行ってきた録画行為を止めてしまう、いいかえれば、クラウド形態のビデオ・サービスに鞍替えし始めている、ということである。

ひるがえって、人々のテレビ視聴様式の変容の歴史を、上の文脈のもとで振り返ってみるならば、それは、ひとえに、コミュニケーション技術の力を借りつつ、いかにしてVOD環境を拡張するかという努力の歴史であったと言うことができる。多言を要しないことだが、放送メディアは、当初、ユーザーに固い時間的・空間的制約を強いるメディアとして、「今・ここで(hic et nunc)」しか、そのサービスの享受を許さないものであった。いいかえれば、視聴者は、VOD環境とは全く無縁のところで、送り手が予めしつらえた番組<編成>にひたすら身を委ね、既定の時間軸上で行為するしかなかった。そのように考えた時、20世紀後半に至り実現した、録音・録画装置の日常化は、放送メディア史における第一のパラダイムシフトと言っても良い「画期」を刻印付ける重要な出来事であったといえ、ここから、“TV Anytime” 環境拡張の歩みが開始され、今日に至っているといえる。

一方、”TV Anywhere” の進化史に目を向けるなら、それは、遡っては「一家に一台テレビから、一部屋(一個人)に一台テレビへ」という変化に、その起点を求めることが出来ようが、今日、インターネットとそれに接続される多様なデジタル装置が日常生活のなかに埋め込まれるなかで、一の放送リソース起点(放送波受信アンテナ設置地点/ケーブルテレビ・コネクタ設置地点)に縛られることなく、放送(的)サービスの享受が可能となっている。考えてみれば、そもそも、放送とは「一の放送リソース起点から、面的に拡張」すること=Broadcasting を目指したものだったわけだが、今日、その「面」は、格段にきめ細かく、かつ重層的なものになっている。
以上のような過程を経て、インターネット時代のテレビは、「何時でも、何処でも、(固有の受信装置を前提とせずに)多様な装置で」視聴者のニーズを最大限充足させるという意味において、これまで漸進させてきたVOD特性を新たな次元において実現したといえよう。

これまで見てきたような下流(視聴者レベル)における環境変化に対応するかたちで、中流では、テレビ(ビデオ)文化の流通を多元化する、新たなビジネス・チャンスの動き、具体的には、

  1. インターネットを介して、テレビのライブ送信を行う
  2. (アメリカにおいて台頭するHuluやNetflix サービスのように)既放映番組やその他ビデオ・リソースのオン・デマンド送信を行う
  3. ケーブルテレビ会社が自社加入者に対し、テレビ以外のデバイスによる視聴を可能にする(いわゆる”TV Anywhere“)サービスを提供する
  4. Amazon、Apple、YouTubeといったインターネット生え抜きの大手企業がテレビ(ビデオ)配信ビジネスに参入する

といった動きが活発になってきている。なお、このような動きが拡大していく背景に、インターネットでは、長年放送界を律してきた強めのメディア規制が-原則あるいは著作権をめぐるそれを除いて-作用しないという事情があることを指摘しておくべきだろう。

テレビとインターネットとの関係で最後に指摘しておきたいことは、最近に至るまで敵対関係にあるとみられていたテレビ視聴と「ニューメディア」接触との関係についてである。たとえば、今日、Twitter でコミュニケーションし合うことによって、テレビのスポーツ番組や様々なイベント中継の視聴が盛り上がるといった現象にもみられるように、両者間に新たな共生・補完関係が生まれていることへの期待が高まっている。今回、タイから寄せられたSasiphan Bilmanoch 報告にある、同国 Voice TV の事例もそのようなものと言えるが、そのような事例は、アジア各国でも無数に認められるはずである。


4. アジアの現況をどうとらえるか

これまでみてきた、グローバルな規模においてインターネットがテレビ・メディアに及ぼしている構造変動は、今回のオンライン・シンポにおける各国からの報告からもうかがえるように、アジア諸国においても確実に進行している。ここでは各国からの報告を念頭に置きつつ、また、更なる追加データをもとに、アジアの現状を筆者なりに描いてみたい。

世界中のインターネットを介して-ストリーミング方式で-提供されているテレビサービスをポータル化したサイトはいくつかあるが、そのなかでも最も充実したサイトのひとつと思われるものに ”SQUID TV”(http://watch.squidtv.net/)がある。このサイトにリージョン別(アフリカ/アメリカ/アジア/ヨーロッパ/中東/大洋州)に収録されている数多くのインターネットテレビの現況から浮かび上がってくる全体像把握の試みは、別の機会に譲らざるを得ないが、このポータルサイト、そして今回のシンポジウム諸報告をふまえて、アジア各国のインターネットテレビの現況を概括するならば、それは「デジタル・デバイドを伴いつつも、水準の高いインターネットテレビ環境が形成されつつある」ということになると思われるが、それはどういうことなのか。上記ポータルサイトから得られる-シンポジウムでは取り上げられなかった-カンボジアの現状をもとに敷衍してみたい。

ITU のデータをもとに日本の民間会社が作成した、世界の(固定回線)ブロードバンド普及率ランキングにおいて、カンボジアは、統計対象国189カ国中150位と低位に甘んじている*2。しかし、”SQUID TV” によれば、同国の主要テレビ局を含む多くのテレビ局がインターネットを介した同時ライブ送信および既放映番組送信を行っており、実際、日本でもTVK / BayonTV / TV3 / TV5 / SEA TV / ApsaraTV / TV9/ CTV9 / Mekong TV といった局のストリーミング放送が受信可能である。また、Mekong TV は、自社チャンネルを提供するほか、インターネットテレビのポータルサイト(http://www.mekongtv.net/)を運用しており、ここからTVK / BayonTV / TV3 / TV5 / SEATV / ApsaraTV / CTV9 のチャンネルにアクセス可能であるほか、上記各局の既放映番組の視聴、さらには、メンバー登録(日本からでも可能)をすることによって、VOD サービスの視聴もできるようになっている。

ただ、すでにみたカンボジアのブロードバンド普及状況や他のデータからみて、このようなインターネットテレビ環境を享受できるのは、首都プノンペンの居住者で、しかも、経済的に恵まれた階層に属す人びとに限定されている、いいかえればデジタル・デバイドのもとでの先進メディア環境ということになる。

こうした「デジタル・デバイドを伴いつつも、水準の高いインターネットテレビ環境が形成されつつある」という事態が生み出される背景には以下のような事情があると考えられる。それは、開発途上国における技術移転でしばしば認められる現象なのだが、ある国が、遅ればせながら、ある技術システムを導入しようとする時、その時点で最も先進的なシステムを採用することがよくあり、結果として先進国並みの水準に速やかに到達するということがしばしばある。この点に関し、過去においては、たとえば、1980年代、有線電話網整備に乗り出した開発途上国が、クロスバー交換機をスキップし、一挙に電子交換機を導入した例、1990年代に入り、初期投資がかさむ有線電話網整備に先行して、モバイル通信網を普及させていった事例を想起することができるのだが、アジアにおけるインターネットテレビ導入のケースもまたそのような例のひとつと考えられるのである。


5. 今後の展望と課題

最後に、アジアにおけるインターネットテレビの当面の展望と課題について、箇条書き的に記しておくことにしたい。

  1. まず、各国におけるブロードバンド環境は、固定回線ベースのインフラに加えて、無線ベースのインフラが―スマートフォン需要にも支えられて―整備の度を増す可能性が考えられるが、そのスピードには、各国の経済政策、ICT政策が反映されるかたちで国別格差が拡大する可能性がある。

  2. オンライン・シンポにおける韓国からの報告が示唆するように、また、先進国に共通してみられるように、一国のブロードバンド人口が一定の閾値を超えた市場規模に到達する一方、自国内のコンテンツ(知的財産)生産に関わる産業が力をつけてくるにつれ、利害当事者の知的財産権擁護マインドが高まり、かつてルーズであったコンテンツ流通秩序を―他ならぬデジタル技術を駆使しつつ―「是正」しようとする機運が高まる。
    このような事態は、末端ユーザーの視点からは、自由なビデオ文化享受環境の「後退」ないし「息苦しい」事態の到来と受けとめられることになるのだが、今のところ、20世紀後半に確立した「フェア・ユース」原則のように、権利者とユーザーいずれをも得心させる「デジタル時代の著作権秩序原則」は未だ確立されていない。近い将来、そのような新しい秩序形成をグローバル規模で構築することが求められていると言えよう。

  3. さらに、時間的にどれくらいかかるのか、また、そのような事態になるかどうかも定かではないが、インターネットの成立を待って始めて拡大可能となった-YouTubeを介して流布しているような-新たなビデオ文化が、テレビをはじめとする20世紀型ビデオ文化と、どのような関係を今後結んでいくかにも注視の目を向けていく必要があろう。


脚注

  1. “Viewers Start to Embrace Television on Demand”, New York Times 電子版, May 26,2013.*1

  2. http://www.globalnote.jp/post-1748.html 無料会員登録することにより英語版へのアクセス可能。*2

※リンク先は掲載時のものです。現在は存在しないか変更されている可能性があります。

小林 宏一

1942年生まれ。
早稲田大学文学部(社会学専攻)を経て1975年同大学院博士課程社会学専攻満期退学。
その後(財)電気通信総合研究所、成城大学、東京大学社会情報研究所、東洋大学社会学部、早稲田大学大学院政治学研究科教授を歴任、現在、東京大学名誉教授。
研究領域は情報社会論、情報メディア論、文化社会学。

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