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JAMCO オンライン国際シンポジウム

第23回 JAMCOオンライン国際シンポジウム

2015年2月~2015年10月

日本のテレビ番組のアジア・中東での理解の実態

ユネスコによる世界の津波警報システムの構築
───映像の果たす役割───

山本 雅博
元ユネスコ政府間海洋学委員会、元気象庁地震津波監視課

ユネスコ主催の国際津波シンポジウムの開催

2011年3月11日、世界は日本から送られてくる映像に大きな衝撃を受けた。津波対策の先進国である日本で、なぜこれほど多くの人達が津波の犠牲になったのかは、世界の津波研究者の最大の疑問であった。発災直後から国内或は海外の研究者、行政官は、あらゆる角度からの詳細な調査・解析を行った。総合的な解析が行われ、東日本大震災から約1年が経過すると、一体何が起こったのか次第に明らかになってきた。

ユネスコは、海洋観測を受け持つ唯一の国連機関である。このため、1960年のチリ津波で太平洋の各国で大きな被害が出たのを機に、太平洋の津波警報システムを構築している。さらに2004年のインド洋大津波をきっかけに、国際的な枠組みの中で、全球的に総合的な津波早期警戒システムの導入を推進してきており、今回、日本が学んだことを世界に積極的に発信する責務がある。このためユネスコは、「津波警報システムのあり方を問う――人はなぜ逃げられなかったのか――」をテーマにした2日間の国際シンポジウムを東京で開催した。シンポジウムでは、津波発生後1年間、国内外を含む多くの調査団が各方面から調査、解析してきたことを総合的に評価し、大震災から学んだ教訓を世界中で共有し、各国が今後の政策に反映させ、二度と同じような悲劇を繰り返さないことにある。

開会式では、皇太子殿下のご挨拶をいただいた後、最初にNHKから「映像から見た大津波」と題する講演が行われた。このシンポジウムのために製作・編集されたビデオが放映され「その時何が起こっていたのか」、「津波とはどんな現象なのか」を解りやすく解説し、「津波が引き起こすインパクトの凄さ」を理解させるとともに「津波対策の重要性・必要性」を改めて示すものであった。このプレゼンテーションは、参加者全員に大きな感銘を与えるもので、映像の持つ偉大な力と重要性を再認識させるものであった。

その後、分野の異なる5つのセッションが開かれた。セッション1では、「巨大津波:その時何が起こった?予期できなかったものは?どのように立ち向かうか?」と題し、地元の自治体長、津波研究者らからの発表に引き続いて、海外の研究者、行政機関の参加者を交えて、今後の対応策についてのパネルディスカッションが行われた。その他のセッションでは、「地域社会の意識改革」、「より効果的な津波警報の在り方」、「国際協力の推進」など幅広い分野について議論された。

特に、セッション4では、「マスメディアの果たす役割:自然災害の備えと報道における国際メディアの協調」について、モデレーターとして池上彰を迎え、内外報道機関の記者によるパネルディスカッションが行われた。この中で「メディアは、国民の生命を守るために、災害発生時に信頼できる情報を迅速に放送することである。災害に関する情報のキーワードは、信頼性と正確性にある。日本の場合、津波警報を発表する気象庁と、それを国民にいち早く報道するNHKが、長年にわたって作り上げた協力関係と伝達システムは、他国の例となる模範的なものである。」と強調された。なお、このシンポジウムの詳細については、

http://www.ioc-tsunami.org/index.php?option=com_oe&task=viewEventRecord&eventID=1035


を参考にされたい。

津波警報が効率よく利用され、人命を守るためには、地震発生直後、いち早く津波警報を出せるシステムだけでなく、警報を津波の危険地にいる人達に、いかに早く伝え、その人達が、正しく避難行動を取れるような、総合的な津波警報システムを作り上げなければならない。筆者は、ユネスコ職員として7年間、世界各国や世界の各地域の津波警報システムの構築作業に従事してきた。各国を訪問し、防災担当機関、教育機関、地元自治体等多くの人達に、津波警報システムの在り方などについて、ワークショップ、講演会などを通して説明してきた。先ず「津波とは?」から始まる。この時、インド洋津波や東北津波の映像を流すと、参加者の目の色が変わる。津波の速さ、恐ろしさを目の前にして参加者のモチベーションが一気にアップするのが分かる。「津波映像」の重要性を示すものだ。

太平洋の国際協力による津波警報システムの始まり

日本の津波警報システムは、三陸沿岸地域だけを対象にして1941年に始まり、その後、全国的に展開された。しかしこのシステムは、日本周辺で起こる近地津波だけを対象としたものであった。1960年5月24日未明、地震もないのに日本の太平洋沿岸は、突如として不意打ちの津波の襲来を受け、142人が亡くなる大きな被害が出た。この津波は、遠く南米チリに発生した巨大地震が引き起こしたもので、約1日かけて日本に到達したものであった。津波が日本を襲来する約8時間前に、ハワイにも大きな津波が押し寄せ、大きな被害が出ていた。もし、この時、国際的に地震や津波の情報を相互に交換する仕組みが出来ていて、ハワイの津波の状況が日本に伝えられていれば、このような不意打ちの津波災害とは成り得なかった。ユネスコの内部組織である「政府間海洋学委員会(IOC)」が中心になって国際的な津波警報システムを構築するための準備作業を進めた。今から50年前の1965年には、国際津波情報センター(ITIC)がハワイに設置されて、太平洋津波警報システムがスタートした。しかしながら、このシステムは、太平洋に発生する津波だけを対象にするものであった為、今度はインド洋に大きな悲劇を引き起こすことになった。

2004年インド洋津波の発生

10年前の2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島沖合のインド洋で、マグニチュード9.1の地震が発生した。同時に引き起こされた巨大津波は、インドネシアのみならず、遠くはアフリカを含むインド洋周辺各国に大きな津波災害をもたらし、史上最大の23万人以上の方が亡くなった。この津波を機に、再びユネスコが中心になり、急遽、インド洋のみならず、カリブ海、地中海を含む大西洋の海域を含む、世界の津波警報システム構築作業が始まった。作業が始まって10年を経過した現在、各海域とも津波警報システムが稼働を始め、もはや不意打ちの津波に襲われることは無いものと考える。

インドネシアを例にすると、インド洋津波が発生した当時の、インドネシア気象庁の地震観測・処理システムは、前近代的なものであった。地震観測所は、全国に60か所にすぎなかった。東西5千キロ以上の国土をカバーするには、あまりにも少ない。さらに、その半数以上は、現地の観測員が記録を読み取り、ジャカルタの気象庁に電話で報告する仕組みだった。このため、地震情報を発表するのに40分以上を要していた。インド洋津波の時も津波警報は出せなかった。

しかし、その後世界各国の支援を受け、津波警報システムの構築が進み、4年後には、地震発生の5分後には津波警報が発表できるシステムの整備と、専門知識を持ったスタッフを育成することが出来るようになった。津波警報は、自動的にテレビ局、ラジオ局等にも伝達されるようになり、報道開始までの時間を、大幅に短縮できるようになった。大きな被害が出たマレーシア、タイ、インドなども同様な津波警報システムが稼働を始めている。

持続的な津波防災対策の必要性

新しいシステムを作り上げるのは、比較的容易といえる。政府を含み多くの関係者のモチベーションは高く、作業は相互に協力しあって比較的スムースに進められる。必要な経費や技術的課題は、先進国の支援を受けながら解決することが出来る。しかしながら、大きな課題は、システムを長期にわたって維持・更新し、システムの改良を持続し続けることにある。時間がたてば、メディア、国民や多くの関係者の関心は次第に薄くなりがちである。

人々が、過去の悲劇を忘れるのは早い。メディアにも、その責任はあるように思う。例えば、インド洋津波から1年が経過した時、筆者は、ユネスコ本部にいた。日本のほとんどの報道機関から、構築中のインド洋の津波警報システムの進捗状況についての取材・問い合わせがあった。NHKからは、いろんな部署から別々の取材があった。全ての報道機関は、国民に「津波災害の恐ろしさ」をもう一度喚起させるために積極的に報道した。しかし、2年目には数社だけに減った。3年目には、まだインド洋の津波警報システムは稼働を始めていないのに、どこからも問い合わせが無くなってしまった。また、大きな津波が発生する頻度は、世界的に見ても、そう多くない。このような低頻度の津波災害から、どのようにして国民の生命を守るのかは、大きな課題である。防災機関、教育機関、マスメディアがスクラムを組んで、いろんなレベルで、学校や職場だけでなく、コミュニティーレベルや、各家庭で津波防災対策の向上を、日頃から繰り返し定期的に実施するしかないと思う。

その際には、効果的な教材が必要となる。映像番組は、最も効果的な津波防災対策の教材である。3.11を契機に日本の多くの放送機関では、「津波関連番組」が数多く作成されている。インド洋を含む全球的な津波警報システムは、既に稼働を始めている。しかし太平洋をはじめとし、インド洋、カリブ海、地中海等、世界中の海岸地帯は開発が進み、多くの人が、津波災害に脆弱な所に住居を構えている。日本が学んだことを、これらの人達に「津波防災」の必要性と重要性を伝える手段として、学校や報道機関を通して何時でも、繰り返し、日本が作成した津波関連の「報道番組」や「教育番組」が見られるようになればと考える。世界の津波防災活動に貢献することが、3.11を経験した日本の任務であろうと思う。

山本 雅博

元ユネスコ政府間海洋学委員会、元気象庁地震津波監視課

1969年 気象大学校卒
1971年 地震課勤務 以降、科学技術庁、福岡管区気象台にも勤務
1997年から5年間ウィーンに新設された包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty Organizationに派遣。
2002年 火山課長
2004年 地震津波監視課長
2005年 ユネスコの政府間海洋学委員会(IOC)に新設された津波ユニットに派遣(7年間滞在)

これまでのシンポジウム

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