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JAMCO オンライン国際シンポジウム

第19回 JAMCOオンライン国際シンポジウム

2010年2月1日~2月28日

ドラマ映像の国際交流

韓流ドラマの現在

黄 盛彬
立教大学社会学部メディア社会学科 教授

1 はじめに

 私事で恐縮であるが、最近、我が家は『朱蒙〔チュモン〕』にはまっている。『チャングムの誓い』以来、ほぼ3年ぶりである。2000年から7年間暮らした京都での生活を終え、現在の勤め先に移ってから、幾分か忙しくなったせいであろうか、あるいは子供たちの成長に伴ってか、ほぼ3年間、家族揃ってテレビを見る時間はかなり減った気がする。ちょうど一年前に自宅マンションに光回線が導入された際に入ったIPTVの見放題プランに加入しても事情は変わらなかった。みんなで映画を見ようとしても、月に1、2回に過ぎなかった。メディア研究者である筆者は、もっぱらデスクの上のテレビ(まだアナログ)とパソコン上でみるワンセグ放送を見ていた。ところが、昨年秋のある日、せっかく毎月の料金を払っているわけだから、有料番組でもどんどんみようという話になり、番組を探しているときだった。韓国ドラマの『チュモン』の導入部の何編かを面白く見た記憶が甦ったのである。それから、一ヶ月余り、毎晩のようにチュモンの鑑賞は続いた。

 なるほど、陰りが見えてきたと指摘される韓流ドラマだが、現在の多様化したライフスタイル、多様なメディア環境の下では、大多数ではなくても、忠誠度の高いファンが存在する限り、持続していく道がここにある、ということを、筆者は自らの体験を通して、改めて認識することになった。本稿では、主に2005年頃をピークに迎え、陰りが見え始めたと指摘されていた韓流ドラマの現在を診断し、主に受容国の視点から韓流ドラマの現在を考えてみたい。また、日本との比較を試み、この地域におけるドラマの国際的流通及び受容がもたらす産業的、政治的意義、並びにその可能性と課題を探る。


2 韓流の現状-輸出入統計から

 まず、2009年の「文化産業白書」の記録から韓流ドラマの現状を把握してみよう。
【表1】韓国における放送番組の輸出入の推移(米・千ドル)
 韓国の放送映像のコンテンツの輸出額の推移を見ると、その成長ぶりは一目瞭然である。1995年から10年の間の輸出額の伸びは、22倍以上。その後も伸び率は鈍化したものの、成長は続けている。番組の貿易収支は、2002年から輸出超になっており、一本当たりの価格も大幅に上昇している。ジャンル別にはドラマが輸出全体の多くを占める。輸出先をみると、日本、台湾、中国、香港の合計が総輸出額の90%を占めるほど、東アジア地域の比重が高いが、輸出国には、モンゴル、インドネシア、マレーシア、ベトナム、ウズベキスタン、イラン、エジプトなどの国が含まれている。そのほか、近年には、ケニア、ジンバブエ、スーダン、タンザニアなどのアフリカ諸国の放送局でも韓流ドラマが放送中である。※1
 ところが、韓国ドラマの輸出金額面では日本の比重が圧倒的に大きい。2003年までは、日本は、台湾、中国に次いで第3位だったが、『冬のソナタ』以来、多くの韓国ドラマが輸入されはじめ、いまは韓流ドラマの最大の買い手となっているのである。しかし、数的に、番組の輸出時間数や広いファン層が存在するのは、むしろ台湾や中国などの中華圏である。したがって、韓国ドラマは中国や台湾においてもっとも広く受け入れられているが、一方、日本では非常に忠誠度の高い視聴者集団が支えているという現状があるといえる。

 冒頭に述べたように、2006年をピークに輸出額の伸びは鈍化しており、その背景としては、中国や台湾での輸入規制の動きや価格高騰への反発による輸入減少、そして日本での韓流ファンの中高年世代への固定化傾向などが指摘されてきた。しかし、その後も輸出総額が減少しないことから、また、各国において、韓流ドラマが固定チャンネルの固定時間帯に編成される傾向が現れているなど、むしろ「定着」しているという見方もあり得る。2005年の段階で放送番組輸出額の90%に迫ったドラマは、2006年には77%まで落ちたが、2007年には90.2%、2008年には91%まで上昇している。
 2007年度以降にも成長を続けた理由としては、歴史に現代的な解釈や物語性を加えた、いわば「フュージョン時代劇」が海外でも人気を集めたことや、日本への輸出が回復されたことに理由がある。日本でも、2007年以降、『宮』、『チュモン(朱蒙)』などが人気を得るなど、韓国の長編時代劇は、『チャングムの誓い』に続き、新たな韓流ドラマのジャンルとして定着している現状がある。
 その反面、広い層に受けいれられている台湾や中国では、輸出金額面からは横ばい局面が続いている。とくに台湾では、2006年の2,018万ドルから、2007年には1,760万ドル、2008年には777万ドルまで下落した。主に高騰した価格や『大長今(チャングムの誓い)』の後のヒット作の不在、そして台湾ドラマの躍進などが背景にあると指摘されたが、2008年には一時期5,000ドルまで上昇した一本あたりの価格が、2008年には2,643ドルまで下がり、2008年から2009年の間に再び輸入増加に転じているという(KOCCA FOCUS, 2009-04)。また、中国でも2007年778万ドルから550万ドルに大きく減少したが、2008年の北京オリンピックを境に再び韓国ドラマの輸入が増えている。ただ、日本を除く東アジア地域では、広範な海賊版の流通の現状があり、輸入統計からは見えない広範な受容の実態があるとの指摘もある。
 韓国から海外へ輸出される放送番組の多くは地上波放送局が著作権を持つものであり、2008年の輸出額の85%に当たる1億6,257万ドルを記録している。その反面、放送チャンネル使用事業者(日本でいう、役務利用放送事業者)などの輸出額は15%に当たる1,760万ドルに過ぎなかった。しかし、2007年よりは比重は延びている。

 なお、この状況を日本と比べてみるとどうなのか。日本では、2007年度に輸出された地上テレビ番組のうち最も多いジャンルはアニメであり、63.9%と大半を占めている。次いで、ドラマ、ドキュメンタリーとなっている。番組の輸出先を見てみると、最も多い地域はアジアで全体の41.1%を占めており、これにヨーロッパ、北米が続いている(総務省『情報通信白書2009年度版』より)。
 以上のように、韓国ドラマは、東アジア地域を中心に、もっとも経済的なメリットのある日本を筆頭に、中国や台湾、香港などの中華圏の市場をターゲットに着実に存在感を上げており、その一方で、韓国からの積極的な提供の努力が実った形ではあるものの、イランなどの中東地域やアフリカ地域でも人気を集めている。


3 韓国ドラマの成功を語る言説

   筆者は、『韓流の底力とその言説』という題の論文(2008)で、ドラマ、映画、音楽の各ジャンル別に韓流コンテンツの現状を調べ、その「底力」の秘訣を語る言説を分析したことがある。そこでは、問題提起として、当時の韓流ブームと同時に流行った「韓流国策説」への違和感を指摘し、それが持つ政治的含意について批判的に検討した。果たして韓流ドラマの躍進の要因はなんであったか。実はこれを語る言説は日本のみならず、韓国においても「国策説」が盛んに行われていた。確かに、1998年の「放送映像事業の振興対策(1998年)」や「放送映像事業振興の5カ年計画(2003年と2008年)」などの諸政策による成果の部分もあろうが、それだけでは十分な説明にならないことを、次のように指摘したことがある。

 韓流は「国を挙げての政府レベルの努力の産物」というより、むしろ様々な外部要因、つまりはアジア地域の多チャンネル化、とりわけ中華圏の経済成長による中産層の拡大によるところが大きく、日本においては、韓国における日本大衆文化の開放措置や2002年のW杯の共同開催の前後に起きていた友好ムードの拡大(その逆のムー ドも同時に拡大するが)などの影響もあるなかで、たまたまNHKで放送された『冬のソナタ』というドラマが、日本のテレビが疎かにしてきた「中年女性」という隙間市場の鉱脈を発見させるきっかけを作ったというのが、よりリアルな認識ではないだろうか。

 それから2年以上が経ち、韓流ブームはピーク時の伸び率ではないものの、衰退の傾向にはないことは、すでに指摘した。では、その理由は何なのだろうか。まず考えられる理由は、映像コンテンツを作る「能力」が伸びたことである。その背景として、国内の地上波放送産業の量的な拡大による資源の増加と競争圧力の拡大があり、また一連の多メディア・多チャンネル化の過程において、映像ソフトへの関心が高まった結果、資源や人材の投下が強化され、その結果として番組の競争力が高まったとみるのが妥当であろう。そして、番組の内容面でいえば、近年の韓国の映画でも見られるように、経済発展や民主化などにより表現の自由の拡大や テーマの面で多様性が発揮されたことが挙げられる。またドラマチックともいえる激動の時代のなかで育った新しい世代の経験と感性がテレビ界に投入されるなどの諸要因が複合的に作用し、活力がもたらされたことがより大きな背景ともいえよう。日本を含む東アジア地域で国境を越えた共感を生んだ作品の多くは、いわば韓国社会が経験した激動の現代史やその中の家族の姿が投影されているものが多いことからも、こうした見方は説得力を持つのではないだろうか。また、『チャングムの誓い』やそのほかの新しい 感覚の歴史ドラマなどは、歴史を扱うドラマの素材の幅、マンネリズムから脱皮した新しいセンス、 女性の登場といった要素が大きな反響を呼ぶための秘訣であったように考えられる。
 では、中国を筆頭とする中華圏、そして日本で起きた韓流ブームの現在はどうなっているのか、いまも続いているのか、その理由は何なのかなどを、受容側の視点から探ってみよう。


4 中華圏における韓国ドラマの受容

 中国は、1997年『愛って何だ』というドラマを筆頭として、韓国のドラマが本格的に放映されはじめ、10年以上が経った現在もなお、韓国のドラマの主要な輸出国である。『秋の童話』、『冬のソナタ』、『チャングムの誓い(大長吟)』などの韓国ドラマがブームを巻き起こし、2006年以降にやや落ち込んだが、2008年の北京オリンピックをきっかけに放送番組に関する規制が緩和され、韓国の映像コンテンツへの需要が再び増加している。最近の人気作は『怪傑春香』、『妻の誘惑』や『噂の七姫』など。ただし、放送での受容以上に海賊版DVDなどの流通が広がっている現状がある。最新の調査によれば、韓国のドラマの輸入許可本数は、再び増加の傾向だという。2005年には29シリーズ、2006年には14シリーズ、2007年には17シリーズ、2008年には27シリーズであった(Yoon, 2009)。
 中国の中央電視台(China Central Television、以下CCTV)が最初に放送した韓国ドラマは、『嫉妬』(MBC)という、いわば1990年代前半に日本の放送界を風靡したトレンディドラマの亜流のような作品だった。消費資本主義の段階に突入していた韓国社会では、流行のアイテムを次々登場させ、おしゃれなスポットでデートを重ねるメロドラマが人気を集めたが、中国では、日本のオリジナルに比べられ見劣りしたのか、大した反響はなかったという。 ところが、同じ時期(1997年)放送された『愛って何だ』というドラマは大きな反響を呼んだ。このドラマは、『嫉妬』と同じくMBC(Munhwa Broadcasting Company、文化放送) 制作で、ほぼ同じ時期(1991年11月30日〜1992年5月31日、全55部作)に韓国で放送されたが、前者が日本のトレンディドラマを模倣する趣向だったのに対し、後者はMBCの看板ドラマを手がけてきた金秀賢(Kim, Su-hyeon) の脚本によるホームドラマであった2。女子高校の同級生である中年女性二人の、息子と娘が結婚に至る過程で起きる、新旧または両家の価値観の対立を愉快なタッチで描いたこのドラマは、韓国では最高視聴率59.6%を記録したが、中国でも外国ドラマ史上最高の視聴率を記録し、その後の韓国ドラマブームの先駆けとなったのである。

 二つの作品が、中国では明暗を分けたことの理由は何なのだろうか。トレンドアイテムやトレンドスポット以外の、主人公の家族や社会関係などを極力省いてしまうトレンディドラマとは異なり、恋愛にも仕事にも家族は重要な位置を占める韓国のホームドラマに、1990年代後半の中国の視聴者は反応したのである。それから火がつき、韓国のホームドラマは中国での人気を集めていき、徐々に韓国ドラマの輸入も増えていった。その後のヒット作は、単にホームドラマというだけではなく、美しい映像や音楽、美男美女のキャスティング、ロマンチックな恋愛という物語を、家族と友人らの関係のなかに位置づけた、いわば韓国流のトレンディドラマともいえる恋愛ドラマの数々であった。
 なぜこうしたドラマが受け入れられたか。これについては、様々な説明があるが、それらを総合して筆者なりの整理をしてみよう。まず、冒頭に述べた韓国側の政策要因と国内産業の競争力の発展という要因については、よく指摘されることであるが、ここでは、受け入れ側がどのように解釈していたか、という観点の議論を主に紹介してみよう。

 第一に、現代的要素への評価である。経済発展を背景に、その結果として訪れる豊かな暮らしと自由な恋愛という夢を、より手の届くような形で、人々の欲望の対象としてうまく表現してくれているという解釈である。同じような容貌だがなぜか洗練されているようにみえるスターが登場していることから、より自然に感じ、手の届きそうな「憧れ」を感じることができるというのである。  第二には、伝統文化の魅力説である。類似した文化的背景は、中国の視聴者には馴染みやすく、むしろ、同じ文化的背景を持ちながら、近代化の試練を先に経験した韓国ではどのような変化を遂げたのか、韓国は伝統と現代の関係をどう処理したか、などを実感させるために人気があるという説明である。また、時代劇、現代劇を問わず、物語の背景として描かれている家族愛や友人関係などに表現されている儒教の伝統なども、文化的な近さを感じさせる、という指摘である。  第三に、韓国ドラマの物語の中心テーマとして「情」を挙げ、韓国ドラマは、物語において衝突が少なく、展開も比較的遅いほうだが、「情」だけは美しく、含蓄的で、真実であるという指摘も聞かれる。日常的な美的感覚、感情の向き、心の中の夢などに関する敏感な描写、社会の矛盾や人間の弱さなどが豊かに盛り込まれていて、視聴者を引きつけるという意見もあった。※3
 その他、特徴的な意見としては、「インターネットでのアクセスの便利さ」の指摘があった。中国でも、中文の韓国サイトが多くあり、インターネット上で韓国映画やドラマの情報にアクセスでき、韓流の「伝播」のための便利なプラットフォームを提供したという説明で、日本と韓国の両方のメディア・文化関連のウェブサイトにアクセスしている筆者としては、一理ある説明に思えた。
 要するに程々に現代的で、伝統文化の近さを感じ、また同時に「東方文化の本山としてのプライドを再確認できる」という効用があり、さらに中国ドラマとは異なる「情」のテーマの上手さなどが異文化受容の趣向までも満足させてくれているという説明である。

 こうした中国人研究者らの説明は、韓国側の言説とも合致するところがあり、概ね、歓迎されているが、専門家らの見解は微妙に異なるものがある。中国文化研究者の李旭淵(2008)によれば、日本のドラマが流行った1980年代末から1990年代初めまでは、改革開放が始まり、現代化、都市化が胎動した時期であったのに対し、韓国のドラマが流行り始めた1990年代後半は、社会主義市場経済が十分に力を付け、社会主義経済による現代化、都市化が本格的に中国大衆の日常にまで浸透して中国大衆の日常と思考を変え始めた頃であったのである。そして、当時の中国社会における最も重要な潮流は、文化保守主義と伝統の復活であり、そうした雰囲気のなかで、儒教の価値が盛り込まれていると評価される韓流ドラマが中国家庭で人気を呼んだという。2005年には、『大長今』の大ヒットが続いたが、これにはまた単なる儒教的な価値観だけではなく、別の要素が加わった。湘南衛星テレビで放映し、たちまちヒットを記録するが、それまでは、中国における韓流ブームは二分されていた。10代の若者層は、主に韓国のポピュラー音楽とスタイルのよい韓流スターに魅了され、大人たちはホームドラマを好んでいた。ところが、『大長今』は、老弱男女を問わず、そして韓国ドラマに拒否感を持っていた人々までも引き込み、一種のシンドロームとなったのである。

 その理由は何だったのか。中国人にはなじみやすい漢方医学の知識を提供するとか、韓国の料理に対する好奇心なども挙げられるが、人気を呼んだ最大の理由は「長今精神」であるという。「出身がどうであれ、一生懸命に努力を重ね、難関を克服し、自分の人生を完成」し、やがてトップに立つ人として、堅い意志を持って、挫折しないで努力する姿を、多くの中国人が評価したという。同じ時期に国民的な人気を得たオーディション番組『超級女優』が流行った理由もまた、国民の成功神話への憧れとの指摘があるのと通じる説明である。また、この番組に関しては、各地域の代表が競演し、視聴者や観客が自分の好きな参加者に投票するという、オーディション番組の当たり前の形が、直接民主主義の経験の乏しい中国の民衆の間で政治的な欲望を刺激したという説明もあるが、「長今」が、宮廷内の権力争いと対峙しながら、強い意志と善意で「よい統治」のために尽力していく姿が描かれているストーリー展開とも通じるところがある。

   以上のように、中国のなかの韓流ドラマは、広く存在しており、日本での韓流とは異なる様子が伺える。写真は、筆者が2004年12月に北京に訪れた際に、北京市の繁華街王府井の交差点で撮ったものであるが、韓国企業の看板や韓流スターの写真があり、その一角には韓国映画やドラマのDVDや音楽CDを扱う店があった。なお、写真のなかのOLYMPUSのモデルは、『猟奇的な彼女』のジョン・ジヒョンであるが、彼女は中国でも大きな人気を集めている。
 また、その3年後の2007年に上海、そしてその翌年にまた北京を訪れているが、大学キャンパスにおいても、韓国の商品やポピュラーカルチャーの存在を確認することができ、会議の運営を手伝っていた大学生らと、彼ら・彼女らが楽しんでいる文化について話し合う機会があったが、以前にも増して韓国発のポピュラーカルチャーを身近に感じていることを実感した。また、ある理工学系の研究者は、会議のレセプションパーティの際に、韓流時代劇の面白さをこのように伝えた。「韓国の歴史ドラマが好きだ。なぜかというと、権力側ではなく、民衆側で描いている。また物語の展開が上手い」というような説明だった。筆者は、なぜそのように感じたかを詳しく聞きたかったが、それ以上聞く機会を逸した。

 現在もなお、韓流ドラマは東アジア地域の各地で反響を呼んでいるようである。ベトナムでは、韓流スターが国民的スターの存在感を持っているという報道もあれば、モンゴルでは、『妻の誘惑』というドラマが、視聴率80%に迫るほどの人気を誇っているという報道もある。もちろん、冒頭に紹介した統計資料から読み取れる現実は、こうした文化的存在感とは裏腹に日本以外の国からの収入はほんのわずかというしかないが、製造業や観光産業などへの波及効果を勘案すれば、こうした存在感の拡大は歓迎されるべきという意見もある。一方では、著作権が守られず、ますます違法コピーを氾濫させ、将来、市場が整えられたときに得られる収益を蝕んでいるという指摘もあろう。あるいは、目の先の利益ばかりを追い求めて、ダンピングまたは水準以下の作品を量産するという体制につながってはいないかという指摘も一理ある。しかし、いずれにせよ、中国や台湾などの中華圏、そしてその他の東アジア地域において、韓国ドラマは確実なプレゼンスを得ていることは確かなようである。


5 日本での韓流ドラマの現在

 以上のような中華圏での動向と、日本における韓国ドラマが置かれた現実は明らかに違いがある。確かに日本でも韓流ドラマはもはやブームの段階を過ぎて、すでに日常的になった感さえある。2009年の夏には、『エデンの東』のTBSでの放送を記念するイベントが開かれ、数千人のファン(ほとんどが女性)が主演男優のソン・スンホンをみるために赤坂のTBS前に集まった。秋にはべ・ヨンジュンが東京ドームでのファンミーティングを成功させる底力を見せつけた。(本人は疲れによる入院から退院したばかりの時期だったにもかかわらず、この東京でのイベントには参加した。)また、『チャングムの誓い』のイ・ヨンエの突然の結婚の知らせは、緊急ニュースとして流れたほどだ。
 現在も、韓国ドラマは多くのテレビチャンネルから放送されている。『エデンの東』、『チャングムの誓い』、『花より男子』などがTBSで放送されていて、地方のローカル局では昼ドラや夕方再放送ドラマの枠を韓流ドラマが埋めている現状がある。また、NHK衛星放送やCS放送のスカパー、ケーブルテレビやインターネット回線を利用した放送サービスなどの様々な新規チャンネルでは、韓流は固定ファンを狙えるコンテンツとして脚光を浴びているようである。また、DVD販売やレンタル店での存在も、もはや一つのジャンルを形成しているといえるほどである。日本的なファンカルチャーによるものか、あるいは韓流ファン独特の現象なのかは断定できないが、いずれにせよ、非常に忠誠心の高いファンが固定化してきている現象は確かに見られる。

 しかし、視野を広げて社会全体を眺めると、社会の幅広い層で韓流ドラマが受容されている中国や台湾とは明らかに違いがある。中国の研究者が証言しているような、周りの友達に「今何をしている?」と聞いたら、「韓国ドラマを見ている。」と言われ、また次の電話のときにも同じ答えが返ってきて、「一回、見てみて!面白いよ!」という会話が聞こえる雰囲気ではない。筆者が教えている学生から聞く話では、「お母さんがハマっていて困っている。」という話がむしろ多く、「お母さんと一緒にハマっている」という学生は男女ともに非常に珍しいのである。
 日本での受容の特徴は「中年女性」というキーワード抜きには考えられない。ポピュラー音楽の世界では、BoAや東方神起などが若者層を中心に受け入れられており、映画はやや幅広い層に定着しているものの、ドラマの主な視聴者層は中年以上(30代以上?)の女性に限られている。この日本特有の現象については、様々な偶然や組み合わせが作用した結果として見ることもできるが、いずれにしても、すぐれて日本的な現象であることには違いない。様々なブームをめぐる言説については、筆者の別の論考(2006, 2007a,2007b)を参照されたいが、日韓の政治的な文脈に沿って過剰解釈する保守・革新両陣営の政治言説が繰り広げられたことや、その反動として、「嫌韓流」という大衆的な運動があったことは、やはり「日韓」特有の現象として特記すべきであろう。言い換えれば、歴史問題などを解決してくれるのではないか、という文化外交面での期待があったことや、また従来からのそうした動きへの反発が繰り広げられたことが指摘できよう。
 メディア論の観点に限って言えば、この間の韓流ドラマの人気は、多チャンネル化がもたらした帰結という解釈が妥当であろう。地上波放送以外の窓口が増え、ソフトの需要が大幅に延びたことにより、1960年代を境にブラウン管から消えた米国ドラマも、最先端の新生メディアのための再び立ち上げコンテンツとして復活した。それもまた地上波の番組ではなく、HBOなどの有料メディアで制作・放送された作品であることが面白い。しかし、それだけでは急激に延びた放送時間を埋めるには無理があり、ソフトの開拓に東奔西走するなか、偶然にも台湾での韓流ドラマのブームをNHKのディレクターが目に留めたことが『冬のソナタ』のNHKでの放送のきっかけになったのである。それから、冬ソナをはじめとした韓国ドラマは、いわば、新たな(あるいは)眠っていたニーズを開拓するのに役立ったという解釈もできるのである。
 また、中国での受容動向の分析に習って言えば、韓国ドラマの受容・消費を通して日本では、どのような「欲望」が喚起されたのか考えてみる事も必要であろう。これについては、まずは主な受容主体である中年女性層の観点から考察する必要があるが、すでに平田由紀江(2004)や林香里(2005)による優れた分析があり、それらを参照されたい。
 ただ、その後の『チャングムの誓い』の大ヒットやその後に続いた「韓流時代劇」の受容で、どのような変化が起きたのかについては、これからの分析が待たれるところであろう。これらの「韓流時代劇」がそれまでに中年女性層に集中されていた視聴者層を広げたかどうか、またその解釈にはどのような変化がみられるのかについて、日韓相互の政治状況の変化も考慮しながら、考えてみる必要がある。ただ、あくまでも筆者の推測であるが、その解釈(受容または再構成)のあり方をめぐっては中華圏とは大きな違いがあろう。日本では中国でのようにポジティブな読みは行われていないのではないように思われるのだが、果たして日本の視聴者は『チャングムの誓い』を、そしてその後の「韓流時代劇」をどのように視聴し、解読しているのだろうか。


6 結びに代えて-ドラマの越境の産業的・政治的含意

最後に与えられた課題、すなわちこの地域におけるドラマの国際的流通の含意である。まずは、なぜこの頃、韓国ドラマの輸出が延びているのかについての整理から始めよう。様々な分析を総合すると概ね、次のようなことが言えよう。
 産業的な観点からは、価格競争力(日本のドラマの半値程度)があり、著作権を一括処理できる契約方式なども買い手側からは都合がよく、また、韓国内の厳しい表現規制もあり、性表現や暴力表現で相手国の基準に引っかかることも滅多にないことなどがよく指摘される。(ただ、最近の日本のテレビドラマも十年前と比べれば表現は相当に柔らかくなっているので、大幅な違いはなくなっているという見方もある。)また、一つの作品が長く、国内でも週2回放送されるパターンが多いのは、輸入する側にとって編成を組みやすくする要因になるとの指摘もある。とりわけ、衛星放送やケーブルテレビなどの専門チャンネルにとっては、より専門的または強いニーズを満たす必要があり、より好まれるという説明も納得が行く。
 上記のような韓国ドラマの制作・取引の慣行は、かつて日本の放送界が辿った発展のパスからすれば「後進的」ともいえる。そのような時代を経て、ワンクール13話方式が定着したからであり、著作権処理の観点からも、韓国側の一括処理方式は、著作者の権利保護という点で問題となるばかりなく、将来にあり得る「利益」までも不当に諦めることにもなりかねない要因を含んでいる。また、番組の長さや編成パターンに関しても、広告メディアとして日本全国の視聴者の最大公約数、または最大のパイ(たとえば、最も広告のターゲットとしての価値の高いF1層=女性(F)の20歳から34歳)を狙うそのモデルを発展させてきた日本の放送界からすれば、韓国のモデルは発展途上にしか見えないだろう。
 しかし、メディアのグローバル化と、デジタル多チャンネル化の趨勢のなかでは、地上波放送の編成モデルには相応しくないが、確かに新時代に相応しいあり方は、皮肉ながら「昔」にあるかもしれないことを、韓国ドラマの流行の現状から垣間みることもできよう。ベタな長編ドラマも「コアな層」に向けては強い訴求力を持つことを証明してくれただけではなく、とりわけ日本においては、眠っていた中年女性の「欲望」と「能力」を喚起させ、彼女たちの様々な方向への「移動」を促進させたという意味でも注目に値する。また、著作権処理方式も、一括処理方式をベースに、様々な著作者または利害関係者への利益分配を契約によって定めることによって、より二次利用を促進するという考え方も、デジタル・多チャンネル時代にはむしろ相応しいという見方もあろう。もちろん、韓国のドラマ界が自覚的にこうしたシステムを生み出したわけではない。繰り返し述べているように、むしろ「偶然」または「状況」の産物であり、だからこそ、韓流の持つパワーの「発見」に驚き、せっかくのチャンスをどのように生かし、持続させるか、苦心惨憺しながら、現在、日本の放送界との交流を通じて、先進的な制作・取引のスタイルを学んでいこうという機運が高まっているともいえよう。

 このような日韓の違いを、別の観点から観察することもできる。
 実は、韓国と日本では、海外市場の意味が全く異なっている。端的に言えば、韓国には日本という魅力的なマーケットがあるが、日本にはそれほど経済的に魅力のあるマーケットが東アジアにはない。逆に日本のドラマ制作者にとっては、豊かで安定した国内市場があり、とりわけ地上波のキー局にとっては、寡占的な既存の構造がある限り、積極的に海外市場を開拓していく必要性は感じない。その利用価値は、かつての「おしんブーム」の際に見られたように、文化外交の面でしか見いだせないという指摘もある。
 それに対し、韓国の国内市場は、景気の不況やインターネットの違法ダウンロードなどで広告市場は萎縮しており、DVDなどの二次市場の版権収入もほとんど期待できなくなっている。また日本に比べると、地上波放送の相対的な地位は低い水準にあり、ケーブルテレビやIPTVなどの新規チャンネルとの競争も厳しい。そこで、着実に収入を期待できる外国市場、とりわけ日本のマーケットは実際の割合以上の意味を持つことになり、とりわけ独立プロダクションにとっては、「輸出がなければ、ドラマ制作の採算がとれない」事態となっているとも言われる。韓国ドラマの輸入価格は、他の海外ドラマと同様に国内制作ドラマより低いため、とりわけ日本側の独立UHF局や衛星放送などの新規チャンネルにとっては、固定ファンを確保する手段として、その利用価値がある。そして、韓国のプロダクションにとっては、日本からの収入は、採算がとれるかどうかの判断の際に重要な二次収入として位置づけられる。さらに韓流スターが出演するのであれば、その二次収入の確実性はさらに高まり、もしかしたら、冬のソナタのようなビックヒットを記録することにでもなれば、爆発的な収入増が期待できる。最近の話題作である『花より男子』(KBS)、『エデンの東』(MBC)、『風の国』(KBS)などは、アジア全体でそれぞれ50億ウォン程度の輸出による収入を記録したが、これらのほとんどは、日本で得られた収入であり、またパク・ヨンハ主演の『男物語』(KBS)は、日本に160万ドルで事前販売されたし、チェ・ジウ主演の『スターの恋人』は、電通からの投資があったという報道もある。つまり、韓流スターが出演し、日本の市場での収入がある程度見込めれば、国内での放送で必ずしも成功をおさめなくてもよい仕組みが存在するという状況なのである。 しかし、こうした状況は、もちろん韓国のドラマ界にとって望ましい面ばかりではなく、ドラマの制作環境を歪める悪影響もあるという指摘もある。そして、韓国側の制作会社にとっては、高い値段ではなくても、採算を合わせるだけの価値はあるので、韓流スターを起用するだけの、いわば「日本納品用ドラマ」が作られる土壌を提供するという指摘である。

 次に、政治・文化的含意について考えてみよう。そもそも放送ドラマや映画などのコンテンツ産業はそれ自体としては大きな産業ではないが、その国の持つ文化の魅力として、製造業や観光産業などへの波及効果が大きいとされ、実態以上に強調される傾向がある。また、国際政治の場面では、ソフトパワー論として説明されることも多い(Nye, 2004)。かつて、日本の「おしんブーム」でも見られたように、その効用は、「ニッポンのイメージ」を高めることにあり、番組輸出への期待はほとんどできない、ことは当時から分かっていた。むしろ、テレビドラマなどの文化の輸出によって、「ゆがめられた日本像!ハイテク国家とサムライ・ゲイシャの両極に分かれた日本イメージ。マスメディアが作る日本像を憂い、現状打破のための指針を示す。」ことが期待されていたのであった。そのためにこそ、「おしんブーム」を可能にさせた「政府系資金の援助」と「日本企業のコマーシャル提供」といった官民合同の努力が望まれたわけでもある(川竹,1988)。しかし、近年の「韓流ブーム」から分かってきたことは、かつての「おしんブーム」でさえ、そのような期待が実現したかどうか、疑わしいということである。そのような期待はむしろ文化の活力を失わせ、受容国にも「国策の匂い」を臭わせてしまい、逆効果を生むことがむしろ多かったからである。
 もちろん、文化の越境により生まれる様々な希望的可能性を否定するわけではない。外国ドラマの受容においては、両国の関係性や歴史的背景などに規定される部分はあるものの、受け入れる側の人々の能動的な実践により、その意味は再構成されている。また、その越境された意味は再び、国境を越え、発信国の人々にも他者の目に映った自分たちの姿を映し出し、他者理解を通じて自己を相対化することを手助けする。真の相互理解は、自己のアイデンティティを主張し、他者に理解させることよりは、他者理解を通じて自己を相対化し、互いを変革させていく過程に道を開くことで、達成されるからである。
 これまでのテレビ番組の国際流通をめぐっての日本での議論は、採算を度外視した文化外交としての番組輸出論が叫ばれていたり、近年においては、海賊版の流通などの市場の未整備を理由に番組の越境受容について突き放す議論が増えていたような気がする。より広い視野の議論が必要な時期に来ているのではないだろうか。


 [追記]

 筆者は、昨年の暮れに調査のため韓国を訪れたが、本文中に述べた新しい感覚の時代劇のブームは続いていた。近年のトレンドは、新羅や高句麗といった古代の物語が多く、また内容的には女性が主人公になっていたり、あるいは女性ファンにアピールする男優が登場するものが多く、いずれの場合も、「女性」が主なターゲットになっている傾向が強い。またすでに輸出される可能性が視野に入っている段階に入っており、一国史としての観点よりは、むしろ周辺国家との関係性がより意識されているように思えた。また、劇中人物の人間関係の模様が強調されていて、その解釈においても、現代的要素や物語性が強調されるなど、「歴史」よりは「ドラマ」に重点が置かれている傾向が表れている。このような時代劇のトレンドについては、韓国内でも、「歴史」を過剰に歪めているという指摘もあるようだが、これらの韓流時代劇のブームを観察しながら、筆者は、昨年暮れから始まった『坂の上の雲』や来年度の放送予定の『竜馬伝』などのNHK大河ドラマや民放の時代劇を思い出し、韓国と日本の間には様々な意味で違いが見られていることを興味深く思った。古代の歴史に過剰と指摘されるほどのロマンを求め、しかも女性をターゲットに置く韓国の歴史ドラマ、それに対し、むしろ近代の歴史にもう一度光を当てようとしつつ、男の物語によりシフトする日本。果たして、その違いはなぜだろうか?考えられる理由のひとつには、輸出への意識の強弱があろうが、実はその背景には「東アジアの近代性」を考える重要な手がかりがあるようにも思える。いずれにせよ、それについての考察は今後の課題としたい。
 なお、写真は、忠清北道の舟陽郡や全羅北道の西海岸の邊山半島に位置する時代劇のセットである。撮影終了後は観光地として利用されていた。



※1. 本シンポジウムの主催機関である JAMCOの金田泰明氏より、昨年の8月末~9月半ばまでのアフリカ出張の際に、タンザニアの民放ITVでは『朱蒙チュモン』を既に放送中であり、ケニアの民放NTVでも『冬のソナタ』の放送を予定しているという情報をお寄せいただいた。その後、アフリカでの韓国ドラマの現状を調べたところ、韓国放送映像産業振興院(現・韓国コンテンツ振興院)がジンバブエの放送局に『哀しい恋歌』というドラマを提供したことをきっかけに、その後、ほかの国でも『大長今』などの定番ドラマが続々放送されているという現状を知った。

※2. もちろん、ホームドラマのジャンル的特性においても日本からの影響、あるいは借用を指摘することもできるが、その影響関係は単純に日韓の文脈で捉えるべきではなく、よりグローバルな次元で、長い歴史的な影響関係を考慮すべきであると考える。しかし、トレンディドラマは、様々な証言から、また筆者の日韓における経験から、その借用はより直接的であったと考える。

※3. 以上、「韓国コンテンツ振興院」のウェブサイト上の資料を総合。なお、筆者が参照した資料には、出典が記載されていないため、ここでも中国人識者らの意見を総合する形でまとめた。なお、これらの指摘は、筆者が国際会議などでお会いした多くの中華系研究者との対話でも確認することができたことを付言しておく。


【参考文献】
  1. 川竹和夫.(1988)『ニッポンのイメージ-マスメディアの効果』日本放送出版協会 
  2. 韓国文化体育観光部『文化産業白書』2008年度版 
  3. 黄盛彬(2006)「韓流と東北アジアの政治」松野周治・徐勝・夏剛共編著『東北アジア共同体への道−現状と課題』文眞堂,pp. 203-224.
  4. 黄盛彬 (2007a).「韓流の底力とその言説」石田佐恵子・木村幹・山中千恵共編著『ポスト韓流のメディア社会学』ミネルヴァ書房、pp. 109-136.
  5. 黄盛彬(2007b)「日韓‘文化と政治’とその構造」徐勝・黄盛彬・庵迫由香共編著『韓流のうち外-韓国文化力と東アジアの融合反応』御茶ノ水書房, pp. 75-97. (付録及び資料「韓流本の世界」)
  6. 李旭淵(2008)「韓流が国境を越えるとき」徐勝・黄盛彬・庵迫由香共編著『韓流のうち外-韓国文化力と東アジアの融合反応』御茶ノ水書房, pp. 163-175.
  7. 金賢美 (2008) 「韓流と親密性の政治学-アジアの近代性とジェンダー」徐勝・黄盛彬・庵迫由香共編前掲書, pp. 117-138.
  8. 林香里(2005)『「冬ソナ」にハマった私たち−純愛、涙、マスコミ…そして韓国』文藝春秋
  9. 高野悦子・山登義明(2004)『冬のソナタから考える-私たちと韓国のあいだ』岩波書店
  10. 平田由紀江(2005)<한국을 소비하는 일본- 한류, 여성, 드라마> 책세상.
  11. Nye, Jr. S. Joseph(2004). Soft Power; The Means to Success in World Politics, New York, Public Affairs.
  12. Yoon, Jae-Sik(2009). <2009년 상반기 한류 콘텐츠 현황>, 한국콘텐츠진흥원 포커스, Vol. 4(2009.04).

黄 盛彬

立教大学社会学部メディア社会学科 教授

韓国・群山市生まれ。 延世大学卒業後、立教大学大学院へ派遣留学し、社会学研究科博士後期課程修了(社会学博士)。 立教大学社会学部助手、立命館大学産業社会学部助教授、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校客員研究員を経て、2007年度より現職。 専門はメディア・文化研究、比較メディア論。共著に『メディア社会の歩き方-その歴史と仕組み』(世界思想社)、『韓流のうち外-韓国文化力と東アジアの融合反応』(御茶ノ水書房)、『サッカーの詩学と政治学』(人文書院)など。

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