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JAMCO オンライン国際シンポジウム

第21回 JAMCOオンライン国際シンポジウム

2013年3月14日~9月15日

津波防災とアジアの放送局

[討議2]アジアの防災体制と放送局の役割~その現状と今後の課題

田中 孝宜
NHK放送文化研究所 主任研究員

 アジアの国々にとって「インド洋大津波災害」は、日本にとっての「伊勢湾台風」のように、重要な転機になれるのだろうか。そこが問題の核心である。
 伊勢湾台風と聞いても、日本人でさえピンとこないかもしれないが、日本の現在の防災体制の原点となったのが、伊勢湾台風災害である。1959年9月、名古屋市に上陸し5,000人を超す犠牲者を出したこの台風をきっかけに、日本は国を上げて防災管理体制づくりに取り掛かった。災害対策基本法を策定し、正しい防災情報を速やかに市民に伝達するためにNHKが指定公共機関となった。また、9月1日を防災の日と定め、市民の啓発活動も進めた。日本では、かつて毎年のように犠牲者が1,000人を超す自然災害が起きていたが、伊勢湾台風以降、犠牲者の数は激減した。
 インド洋大津波の後、国際機関や日本などがアジアの国々に行った国際協力は、中長期的に国の防災力を向上させることを目的としている。それまでも災害直後の緊急援助や人道支援はあったが、国の防災体制の根幹にまで踏み込んだ国際協力は初めてであった。
 23万人が犠牲になったインド洋大津波から8年余りたった。当初は「喉もと過ぎれば・・・」というが、結局は国際協力が実を結ぶことはないのではないかという悲観的な意見も聞かれた.現状はどうなっているのだろうか。もし次に同様の災害が起きた時、被害を減らすことができる防災体制は整備されたのだろうか。放送局は災害時に一人でも多くの命を救うための役割を果たす能力を身につけているのだろうか。


津波に無防備だった2004年12月26日

 まず、8年前2004年12月26日、巨大津波が襲ってきた時、アジアの国々の初動はどうであったのか、本シンポジウムのパネリストからの報告を見てみたい。
 インドネシアのFrederik Ndolu氏は、公共ラジオのRRIの「すばやい」対応として「地震が発生してから24時間が経過していないうちに」報道を開始したと報告した。24時間後の放送開始では、迫りくる津波の被害から人々の命を救うことはできない。
 タイでは地震が起きてまもなく「地震・余震」に関する警報が政府機関から出され、政府系放送局で放送されたようである。しかし、巨大津波に関しては、一切警報は出されなかったという。Supanee Nitsmer氏によると、津波がプーケットを襲った後も、メディアは「津波に関する知識がなかったため、・・・どうすれば自分の身を守れるのか、人々に伝えることができなかった」と報告した。
 スリランカのMohamed Shareef Asees氏は、津波はまずスリランカの東海岸を襲い被害が出ていたにも関わらず、その情報は同国の南部にいた人々に伝わっておらず、30分余り後に南海岸に到達した津波で多くの人命を失うことになったと報告した。筆者がかつてスリランカの国営ラジオ放送局で聞いた話では、東海岸の近くにいた記者は「津波」という言葉を知らず「海が壁になって陸に向かってきた」と描写したという。南海岸の人々がラジオでこの情報を聞いたとしても、「津波」が何かを知らなければ、わが身に迫りくる危険をイメージできないかもしれない。
 いずれにせよ、この3つの報告から、巨大津波がインド洋周辺国を襲った時、アジアの国々には、津波警報を発令する仕組みはなく、放送局も適切な報道を行う能力を欠いており、巨大津波に対して、アジアの国々がいかに無防備であったかを改めて知ることができた。


防災マネジメントシステムはどこまで整備されたのか

 放送局の役割は防災システム全体の中の一部である。国の防災体制が整備され、災害マネジメント能力が向上し、防災を担う公的機関と放送局が連携を取れるような仕組みが求められる。2004年にインド洋大津波災害が発生した時には、アジアの国々の多くは、防災を扱う常設機関を持っていなかった。8年余りがたち、防災体制はどこまで整備されたのだろうか。
 インドネシアには防災を担う「国家防災庁」が作られた。また、「国家早期警戒システム」が整備されたことは、Frederik Ndolu氏が報告している。インドネシアの気象当局と放送局がネットワークで結ばれ、津波警報が発令された場合、その情報は直接放送局に届くようになった。
 タイでも2005年5月「国家災害警報センター」を設立し、津波警報が発令された場合、放送に加えて、プーケットなど海岸沿いにある大型スピーカーを使って、避難の呼び掛けが行われる。
 Mohamed Shareef Asees氏の報告によると、スリランカでは、2005年に災害管理のための法律を制定し、「災害管理・人権省」を設置、同省が管轄する下部組織として、防災センターを置いた。防災センターの中にある「緊急対応センター」が、24時間365日緊急事態に備える体制を整備した。
 インド洋大津波災害以降の8年間に、国レベルの防災体制の整備は確実に進んできていると評価できる。しかしながら、組織として整備されたことと、実際の災害時に機能できるのかどうかは、別の問題である。インドネシアでは、2012年4月11日の津波警報発令時、気象局の防災情報が防災対応の要である国家防災庁に届かなかったり、アチェ州沿岸の大型スピーカーの電源が落ちていたり、様々な不備が見つかった。タイでは、2011年の大洪水で、「国家災害警報センター」は全く機能できなかった。警報センターは、当初は津波災害に対応できることを目指して整備されたが、将来は様々な災害に対応する機関であると位置付けられている。しかし、水害など異なる災害に対応できる能力はないことが浮かび上がった。
 こうした中で、前向きに評価できる重要な点がある。インドネシアもタイも、失敗を受けて自ら課題を洗い出し、改善に取り組んでいることである。災害経験を重ねる中で、その国に適した防災システムが形作られる。大切なのは、見つかった課題を放置せず、改善策を施していくことであり、よりより防災システムを作り上げていくための継続的な取り組みである。


放送局の能力向上はどこまで進んだのか

 では、放送局はこの8年で、どのぐらい変わったのであろうか。
 インドネシアでは、津波警報センターと放送局がネットワークで結ばれ、警報が発令された場合、その情報は直接放送局に届くシステムが作られている。2012年4月11日、新しく完成した「インド洋早期津波警報システム」によりインド洋沿岸地域に初めて「津波警報」が出された際、商業放送のMNCは1分16秒後、Metro TVは1分17秒後に警報を放送した。公共テレビTVRIは、商業放送に遅れて、7分19秒後に警報を放送した。2004年にRRIが「24時間が経過していないうちに」放送を開始したことを思いだすと、大きく改善されたことが実感できるのではないだろうか。
 タイでも、放送局の意識が変わった。国営NBT(元チャンネル11)では、インド洋大津波災害の後、筆者が放送局のトップにインタビューした時には、「津波警報を伝えるのは放送局の役割だと考えていない」と答えていたが、現在は、防災報道に積極的に取り組む姿勢を鮮明していた。さらに、Supanee Nitsmer氏の報告にあるように、2008年に誕生した公共放送タイPBSも防災報道に使命感を持って臨んでいる。
 Mohamed Shareef Asses氏の報告によると、スリランカは、24時間、365日対応する早期警戒ユニットを持つ国営テレビとラジオが7局ずつあるという。NHKの佐藤特別主幹が、スリランカの放送局に『宿泊勤務』を置くようアドバイスしたことを報告書で紹介しているが、そうした助言が形になっている。
 実際に災害が起きた時に、放送局がどこまで防災情報の伝達する能力があるのかどうかは、今回のシンポジウムでは確認できなかった。また、インドネシアのFrederik Ndolu氏が指摘したように、災害報道が視聴率を取るためにセンセーショナリズムに陥ったり、義援金集めなどで政治的野心に悪用されたりする恐れは十分にある。放送局が公共的使命を持って災害報道の経験積む中で、よりよい災害報道へとつながっていくことを期待したい。
 Natalia Ilieva氏から報告のあったABUの国際協力の取り組みは興味深い。自然災害は国境を越えて影響を及ぼし、一国だけで対応できないことも多い。その点ABUが中核となり、加盟国で連携してワークショップなどを繰り返してきた意義は大きい。8年前、インドネシアの津波の被害状況が速やかに国境を越えて伝わっていれば、タイやスリランカなどの被害を軽減することができたかも知れない。仮に今、ABU加盟国の一つで災害が発生すれば、その情報は共有され、近隣の国々も警戒するのではないだろうか。
 いざという時のために日頃から、アジアの放送局で防災報道ネットワークを作るのも一つのアイデアではないだろうか。ABU加盟放送局の防災担当者をネットワーク化しておき、定期的に情報交換できる仕組みを作るのである。お互いの経験を共有でき、自国の災害報道の改善に生かせる場となるであろう。また、災害時に放送局が、国境を越えて協力し減災に役立つ情報を提供できるためのプラットフォームにもなる。


継続こそ力なり

 今回のシンポジウムを通して、アジアの国々の防災システムは確実に整備されてきており、放送局の災害対応能力も向上していることを感じることができた。インド洋大津波直後、アジアの放送局では防災を担うという使命感や災害に対する問題意識が低く、国際協力の実効性を疑問視する意見が聞かれた。そうした当時の声を思うと、この8年で大きく前進した。とはいえ、まだ道半ばである。いや、これからもずっと道半ばである。
 2012年10月にIMF・世界銀行の総会が日本で開催された際、「東日本大震災からの教訓」をテーマにシンポジウムが開かれた。その席で、日本では災害が起きるたびに教訓を学び、政策や防災体制などの改善を行ってきたということが紹介された。社会の防災力は、何か対策を取った「結果」向上するものではなく、災害体験をふまえて絶え間ない改善を重ねる「プロセス」の中で向上するものであることが強調された。
 災害には、地域性がある。今回は津波被害に焦点を当てたが、国によって、頻繁に起こる災害の種類も異なる。また、災害に対する人びとの意識や行動は文化的背景に大きく左右される。国際協力ができるのはあくまでサポートであり、最後は、それぞれの国に適した防災システムを自ら作り上げていくことが求められる。そのために必要なのは「継続」である。防災力の向上は、継続こそ力なのである。


 さて、冒頭の質問に戻る。2004年のインド洋大津波災害は、アジアの国々にとって、日本の「伊勢湾台風」のような存在になったのだろうか。その答えはまだ出せない。確かに、各国とも防災を国の重要な政策の一つに位置づけており、インド洋大津波災害がアジアの国々にとって、大きな転機になったことは間違いない。しかし、真価が問われるのは、次に災害が起きたときである。その時、どれだけ被害を減らすことができるのか、いつ来るかわからないその時にために準備を続けることが肝要なのである。

田中 孝宜

NHK放送文化研究所 主任研究員

上智大学外国語学部英語学科
英国リーズ大学 国際社会文化研究修士
名古屋大学大学院 国際開発学博士

1988年、日本放送協会入局。2011年より現職。
主な研究テーマは、災害報道、国際協力、公共放送の世界的潮流など。

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