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エルサレムなどヨルダン川西岸・アンマンでの事業を終えて

宮田 律

 本事業は、途上国とりわけアラブ圏での教育活動を支援することにより、教育を受ける人々の拡大、教育水準の向上を通じた貧困からの脱出、地域の安定に寄与し、ひいては国際的な平和構築の一助を目指すものである。
 イスラム過激派の活動が見られる国や地域では公教育の充実は特に求められている。日本などの教育制度のよいところはこれらの国や地域にも導入されるべきであり、たとえば、今回訪れたパレスチナでは、紛争や暴力で社会が荒廃する中、教育の充実がいっそう強調されるようになった。

 10月25日、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の渉外広報局の服部修氏の紹介して頂いた「日本国際ボランティアセンター(JVC)」パレスチナ事業現地代表である今野(いまの)泰三氏にパレスチナ・ワクフ(イスラムの宗教的寄進)省が運営する学校をご案内頂いた。
 今年度の「放送文化基金」の助成事業による一般財団法人・放送番組国際交流センター(JAMCO)「イスラム世界の教育支援」プロジェクトでは、日本のテレビで放送された教育番組を提供して、イスラム世界の教育活動を支援することを考えている。

 今野氏からはDVD「Wonderful Science」が映像も美しく、演出効果も良く優れた内容であるという評価を学校訪問前に伝えて頂いた。

 訪問した学校でDVDを学校関係者たちに見せると、一様にそのクオリティの高さに驚いた様子で、「アラビア語の翻訳もすばらしい」と語るスタッフもいて、JAMCOのDVDに大いに関心を示していた。今野氏の話だとワクフ省の教育局長の同意があれば、JAMCOとの協定は成立するということだった。
 この学校にはプロジェクターで、パソコンから映像を映し出す設備がある教室があった。「Smart Board」にパソコンの画面を映すと、Boardにタッチしてパソコンを操作することができる。
 パレスチナ・ワクフ省の傘下にある学校は42校で、生徒数は12,000人に上り、今野氏はこのワクフ省との協定が成立すれば、大きな教育効果が期待できると語っていた。

 私たち日本人の訪問を子供たちは大喜びした様子で、いっせいに大勢の子供たちに取り囲まれた。
 参観したクラスでは、子供たちに「交通ルールと色」というテーマで授業が行われていて、教師の熱心な指導ぶりと子供たちの積極的な授業参加を見てとることができた。
 また健康に関する授業では、体によい食べ物を生徒たちが実際にする口にすることで健康について考えさせる機会を設けている。
 食事を終えると生徒たちがいっせいにテーブルや椅子の片づけを行ったが、日本の小学生が放課後に教室の掃除をすることを紹介した「ハワーティル(改善)」が評判なのだそうだ。この学校の掃除は清掃人が行うということだった。

 夕刻、認定NPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」の現地事業担当の手島正之氏とHARUMI KAWAGOE氏と、UNRWAの服部氏、JVCの今野氏を交えて話をした。
 「パレスチナ子どものキャンペーン」ではガザにある「児童館」を通じて教育事業をしているそうで、現在DVDを現地スタッフに検討してもらっているとのことだった。
 「児童館」では250人から300人の子供たちが通っているそうだ。2014年、「パレスチナ子どものキャンペーン」は、ガザの子どもたちに、遠足、描画、伝統舞踏、演劇と発表、壁画と絵画展などの子どもたちの教育支援事業を行い、避難生活を送る子どもたちに給食の提供、ろう学校に対する手話ができる保育者の手配などを行った。

 26日は、ヨルダン川西岸のラマラにあるUNRWAの学校を訪問した。
 ワヒド・ジュルバン氏(Deputy Chief of Education at the learning Resource Centre in Amari B School Compound :in Ramallah)は、JAMCOがアラビア語に訳すテレビ番組の名前と時間をまずリストと知らせてほしいと述べていた。
 続いて訪れたラマラの職業訓練学校である「エピスコパル・センター」の校長であるジョヴァンニ・アンバル氏はJAMCOのサンプルDVDを視て強い関心をもち、ぜひJAMCOと交流をもちたいとのことだった。
 同センターについては下のページに情報があるが、およそ420人のラマラやその周辺の生徒たちが通い、コンピューター、さらには観光までの職業訓練を受けている。
http://www.etvtc.org/

 27日はUNRWAのヨルダン・アンマン北部地区の学校を訪ねた。そこの授業を参観したが、ひじょうにクオリティが高く、教師も熱心で、生徒たちも真剣に学習に取り組んでいた。
 ラマラのUNRWAとは異なってJAMCOの事業に関心をもったようである。サンプルDVDにも生徒たちが食い入るように視ていた。
 ヨルダンのUNRWAの学校は全部で172あり、120,000人の生徒たちが通っているそうだ。Smart Boardを使えばパソコンからスクリーンにDVDを投影することが可能である。

 「科学」に対する需要が高く、UNRWAの学校では、生物学、物理、地理、コンピューターサイエンス、数学(算数)、英語、アラビア語などが教えられているとのことだった。

 UNRWAのヨルダンの教育プログラム担当の副責任者のムサッラム・ガワンメ(Musallam Ghawnmeh)氏は、私が日本の教育番組を視て勉強してきたというと大いに関心を示してくださり、UNRWAの契約書のひな型があり、それを送るからJAMCOで検 討してくださいと言っておられた。
 ガワンメ氏には教育が社会や経済の発展の礎であり、日本はそのモデルであるといったら、大いに納得してくださったようだった。ガワンメ氏は楽しく子どもたちに学ばせたいとも語っていた。
 ガワンメ氏との面談で、UNRWAへのアラビア語DVDの提供にも展望が開けた。

 このヨルダンでの訪問をエルサレムのUNRWAの渉外担当の服部修氏に伝えたところ、「UNRWAでもフィールドにより状況が異なりますので、今回西岸(ラマッラ)とヨルダンを見ていただけて本当によかったです。また手島さんも言っておりましたが、ガザを見られるとまた異なる状況をご覧になれるのではないかと思います。UNRWAの中でも正式なルートを通ると時間がかかることもあり、ご不便をおかけした部分もあったかと思いますが、宮田さんが現地に行かれて直接現場の担当者とお話をいただいたおかげで、UNRWAの現場でもよりよいアイデアを得ることができたのではないかと思います。せっかくのアイデアを無駄にしないようにできればと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」とメールで感想を寄せられた。

 訪問の全体の感想とすれば、UNRWA保健局長の清田明宏医師がアンマンで会った時に述べていたように、パレスチナでは日本や日本人に対する信頼が篤く、それが日本の支援にとって「資産」となっている。
 パレスチナの現地のガイドも「日本の支援ならば素直に受け入れられる」と語っていた。
 教育番組の提供は多くないようで、11月5日、東京霞が関で行われた「ガザの子供たちを囲む会」で、服部修氏のUNRWA渉外担当の前任であるJICA農村開発部の田中理氏も、パレスチナの学校でJAMCOのDVDの提供を受けたいと言っているところがあると語っておられたが、アラビア語に訳された日本の教育番組への関心は相当あるという印象で、今後もアラビア語に訳されたDVDの本数を増やすことや、さらに有効な提供先を探すなどの事業の継続が求めれていると思った。

(ヨルダン川西岸の現況)
 10月24日、イスタンブールからテルアビブのベン・グリオン空港に到着。
 本来所有するパスポートにはイランのビザ・スタンプがいくつか押されてあるので、トラブルを避けようと暫定のパスポートに切り替えたのが裏目に出て入国審査で引っ掛かった。

 女性の入国審査官に、「イスラエル・パレスチナで知っている人間は誰か、電話番号は?テルアビブ大学でかつて会った教授の名前と電話番号、同様にレバノン、イランで会った人物の名前、年齢、電話番号は?」などなど、とても重要ではないと質問ばかりで閉口する思いだった。
 この国の入国には良い記憶があまりない。シリアのビザがパスポートについていて、フィルム写真だった当時、強いX線をかけられてフィルムがおじゃんになったこともあり、またドバイからイスタンブール経由で入った時も、イスタンブールで荷物をピックアップしなかったために、「ドバイ」というアラブの国から来たスーツケースということでカギを壊されて開けられたこともあった。そして今回。イスラエルのセキュリティコンプレックスには辟易とする思いである。
 入国審査でやはり足止めをくったナイジェリア人の男性は、クリスチャンだが、ミドルネームに「ハッサン(アラブ名)」という名前がついていることが問題にされたと語っていた。
 2008年にテルアビブ大学の「アラブ・イスラエル紛争」というワークショップに参加した時も、大学からの招待状があったにもかかわらず、アラブ人の参加者二人が空港で3時間足止めをくったことを思い出した。

 それでも午後2時ぐらいに解放されて夕刻エルサレム旧市街を歩いた。ダマスカス門の前にはゴム弾銃などをもったイスラエル兵がいてものものしい。先週、先々週とパレスチナ人の二人の青年がこの門の前でイスラエル兵に銃で撃たれて殺害された。
 ムスリム地区を歩くと、閉じられたままの商店がまた増えたことに気づく。

 26日は、午前10時にホテルを出るまでエルサレム旧市街を歩く。
 イスラムの聖地ハラム・アッシャリーフを訪ねようと思ったが、以前は入ることができた入り口から立ち入ることができない。
 2つの入り口で入場を拒否され、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」の脇にある観光客専用の入り口から他の団体の観光客とともに入った。
 ダマスカス門から向かえば、「嘆きの壁」とハラム・アッシャリーフで、2度のセキュリティ・チェックを受けることになる。
 ハラム・アッシャリーフ内部にもイスラエル軍兵士やイスラエル警官が警備を行っていたが、重武装した彼らを見ると、政治的に沈黙せざるをえないパレスチナ人たちの日々の息苦しさ、怒り、切ない想いがあらためて理解できるような気がした。
 出口はどこからでも出られるようになっていて、愛想なく入場を拒否した兵士が「ウェルカム」などと言っている。

 ラマラ(ラマッラー)ではUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校やパレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュの博物館などを訪問。

 昼食後、カフェに入ると、パレスチナのニュースでベツレヘム周辺の抗議運動が伝えられていた。
 カフェでシーシャを吸う人たちの表情も一様に重たい。今月になって犠牲となったパレスチナ人たちの顔と氏名が続々と紹介されていた。

 午後2時半ぐらいにラマラを離れ、キリストの生誕の地であるベツレヘムに向かうが、異様に遠く感ぜられるほど、道路は迂回している。
 この途中にもチェックポイントがあり、「有事」の際にはヨルダン川西岸の南北を遮断できるのだそうだ。ラマラからベツレヘムに向かうと、分離壁をずっと右に見ながら進むことになるが、分離壁沿いにイスラエルの軍用車両がパトロールしている。
 ラマラからベツレヘムに至る道路で「ここでパレスチナ人が最近殺された」と何度もドライバーから聞かされた。ベツレヘムに到着すると、ラマラを離れておよそ2時間が経過していることに気づく。

 ラマラの聖降誕教会はパレスチナ自治政府が運営し、大勢の巡礼者が訪ねていたが、それでも土産物店に行くと、店主は生活が苦しいと嘆いていた。

 テルアビブのベン・グリオン空港の前のチェックポイントでまたもクルマを停止されて尋問を受けるが、空港の出国のセキュリティは驚くほど以前より簡素化されていた。
 イスラエルとすれば「終わりよければすべて良し」にしたいのだろうが、窒息しそうな思いをずっと続けたたけに、空港の出国手続きを終えると、後味の悪さと妙な解放感があった。

JIM-NETの協力でイラク・クルド地域の難民キャンプで上映

 JAMCOは、イラクで白血病やがんの子供たちへの医療支援やシリア難民、イラク難民への緊急医療支援を行っているJIM-NET(特定非営利活動法人 日本イラク医療支援ネットワーク)に協力を依頼し、イラク国内のクルド地域で、JAMCOがアラビア語に改編した「ふしぎがいっぱい(アラビア語版)」を子供たちに見てもらえるようお願いしました。そして、JIM-NETの佐藤真紀事務局長が イラク国内のクルド地域に2015年11月に入った際、DVD5組を持参してもらいました。

 2016年3月の佐藤さんからの連絡によれば、1枚はクルド地域の中心都市アルビルの郊外にあるダラシャクラン・シリア人難民キャンプで子供会の際、上映してもらいました。停電のため佐藤さんの滞在中には上映できず、のちにローカルスタッフの方々に上映していただいたそうです。

 また、アルビルにあるJIM-NETアルビル事務所では、バグダットから来たがん患者の子供たちにDVDを見てもらいました。病院内の学級で教える先生もバグダット、バスラから来ていて、授業を行ったそうです。DVDはバグダットとバスラのJIM-NETのスタッフに1枚ずつ持って行ってもらい、病院内で子供たちの授業に使ってもらうことになったそうです。

 掲載の写真は、佐藤さんから送ってもらった現地の様子です。


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