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JAMCO オンライン国際シンポジウム

第16回 JAMCOオンライン国際シンポジウム

2007年1月~3月

テレビで形成される外国のイメージ~中国、韓国、日本

[討議者(3)] テレビが形成する外国のイメージ

野尻 紘子
ドイツ在住 フリー・ジャーナリスト

ユルゲン・クローボーク独外務次官(当時)が「日本におけるドイツ年」に先立ち、在ベルリンの日本人ジャーナリストたちと日独交流の場であるベルリン日独センターで会合を持ったのは2004年3月だった。「ドイツはフランスやイタリアと同じように、ある程度時間をかけて日本人に現在のドイツを紹介する機会を設けたい。それに関して皆さんの意見や助言をお伺いしたい。」という趣旨の説明があり、それに応えて我々が、電通など日本在の機関に日本側にどのような需要があるか調査してもらうといいこと、従来の伝統文化だけでなく、若者の文化、ファッションなどを紹介してはどうかと話したことを記憶している。

多数の独機関や大勢の人たちの関わった「日本におけるドイツ年」に我々の助言が果たしてどれほど役に立ったかは分からないが、参加行事はリストを見た限りでは大変広範囲に渡っており*、年配者にも若者にも興味を持ってもらえそうな内容であったことが示されている。(*筆者はドイツ在住のため、残念ながら日本で「ドイツ年」を経験する機会は少ししか持てなかった。)

ところで、ドイツ側がこの「ドイツ年」の開催を希望した背景にはまず、日独間に問題がないかわり、緊張感もないことがある。ドイツはつまり日本人の頭の中である位置を占めてはいるのだが、それ以上興味をもって見守られている風ではない。これは大まかにはドイツ人の対日本感にも言えることで、お互いにあまり関心がない。それをよく象徴しているのが政治家などの公式訪問だと思う。二国間の摩擦も問題も存在しないから、訪問は表敬の枠をこえることが殆ど無い。さらに、ドイツ年に先行した日本での「フランス年」や「イタリア年」の成功がドイツを刺激したようである。フランスやイタリアが日本の老若男女の間で人気を博していることに、ドイツはかなりの焦りを感じ、少々慌て、何か行動に移さなくてはとこの「ドイツ年」を計画したような印象を受けたからだ。

しかし原由美子さんの研究が立証したように、あるイベントやキャンペーンがそれだけで ―例えそれが丸一年間に渡る行事であっても― ある国に関するイメージに変化をもたらすなどと考えるのは、あまりにも幼稚で短絡的ではないだろうか。外国に関するイメージは、よほど強烈な例外的な事件でも起こらない限り、普通には少なくとも四半世紀、半世紀にかけて次第に移り変って行くものだと思うからだ。 原さんのお話しによると、ドイツ側は、この「日本におけるドイツ年」がドイツのイメージ・チェンジに貢献しなかったので、これをあまり成功とは考えていないようだが、筆者はむしろ相当成功だったのではないかと思っている。まず調査で、開催前に「ドイツ年」を知っていた人が8%もいたという事実が把握されているが、これはとても高い数字だと思う。「日本におけるドイツ年」に大変よく似た「ドイツにおける日本年」という催し物が1999年1月から2000年9月にかけてドイツ全国で行われたその直前に、そのような催し物がもうじきスタートすると知っていたドイツ人がどれほどいたのだろうか。比較になる数値がなくて残念だが、筆者の印象では全国単位できっと1%以下、皆無に近かったのではないかと思われる。

開催後の調査で「日本におけるドイツ年」を知っていた人が倍の16%にもなっていたということは成功でなくて何だろうか。一方、「ドイツにおける日本年」は終了後にもこのイベントがあったことを知っている人たちは、もともと日本に興味のあった人たちの範囲を大きく超えなかったのではないかと思われる。例外は、日本人が比較的大勢住んでいるデュッセルドルフで、日本人コミュニティーが地元のドイツ人を巻き込んだ盆踊り大会などを主催して、話題を呼んだことだという。

「ドイツ年」開催期間中にドイツ関連のテレビ番組が756本、653時間38分、うち「ドイツ年」に関する番組が32本、21時間14分も放送されたと伺った。これは相当量と思われるが、対2002年比のドイツ関連番組だけでなく、例えばフランス、イタリア関連のテレビ番組が通常年単位でどのくらい放送されているのか、「フランス年」、「イタリア年」開催中に番組量は増えていたのか、同イベント関連の番組は当時どのくらいあったのかなど知りたいところだ。日本関連のテレビ番組がドイツで通常年単位でどれくらい放送されているのか、「ドイツにおける日本年」開催中の放送時間の変化、関連番組の有無などのデータもなくて残念だ。

「日本におけるドイツ年」の知名度向上には日本のメディア、特にテレビが大きく貢献したと理解する。ドイツでの「日本年」に関しては当時あまり注意していなかったので色々言える立場ではないのだが、「日本年特集」のようなテレビ番組を筆者は記憶していない。新聞記事でも、個々の行事に関する単発的なコメントはあったが、催し物全体に関わるような記事は見なかったように思う。そのため、例え何処か一か所で「日本年」に言及していても、一年以上を通じてドイツ全国で約400もの催し物が行われていたという印象を得ることは難しかった。

ただし上で述べたように ―ここではテレビに限って考えてみるが― ある国に関連する催し物(例えば「ドイツ年」、「フランス年」など)の知名度の向上に役立つ番組、或は、ある国に関する番組はそれだけではその国に関するイメージの形成・変化にあまり大きな影響を与えないと思われる。そこにはまず第一に視聴者が以前から持っているその国に関する知識とイメージがある。既存知識の量が多ければ多いほど、全部見ても一年間で数百時間程度という番組の提供する情報が視聴者の全知識に占める割合は小さくなる。イメージは固定していれば固定しているほど、簡単には変化しないと思われる。

第二に番組の内容だが、それが映画にせよ町中のルポにせよ、場合によっては、新しい側面を紹介するのではなく、視聴者が以前からもっているイメージや偏見を強めることに繋がることはないだろうか。旅行のパンフレットなどで旅行先の国が自国と異なることを強調するためにエキゾチックさを際立たせたり、その国を直ぐそれと再認して貰えるために、或は旅行者の期待に反さないように在り来たりの写真や表現を使うことは多い。そして番組作成者も視聴者の知っていることを強調することはないだろうか。その背景にはドイツ語の諺でいう「人は、知らないことは見ない」という事実もありそうだ。人は、あることに関し知識が無ければ、そのことの独特性も意味も分からないから、それを見落としてしまうという意味だ。だから視聴者は知っていることは再確認するが、新しいこと、知らないことは往々にして見過ごしてしまう危険がある。そこでは新しい興味も沸かない。

そもそも外国のイメージというのは非常に多くの側面から成り立っているのではないだろうか。そしてある国のイメージを形成するのはまずその国の地理や文化、人々の生活だが、最近ではその国のヒット商品とか経済状況などが特に大きなインパクトを持っているように思われる。

例えば、1970年ごろまで、日本はドイツにとり非常にエキゾチックで理解できない国とされ、日本語は特別な言葉で、ドイツ人にはマスター出来ないと思われていた。(尤も、日本にもそのころ、日本語は特別な言葉で、外国人が習えるような言語ではないと強調する人たちがいたことを記憶している。)そしてそれでも日本語を勉強する人は、とても変わり者と見なされていた。そのころの一般ドイツ人の抱く日本のイメージは正しく、富士山があり芸者のいる国、そしてドイツ製品などを真似して安いカメラや船舶を輸出する国だった。その後、日本が国民総生産でドイツを抜いても、新聞や雑誌は特集を記載し、テレビも特別番組を組んだが、日本は依然として理解できない国だと結論していた。

それが大きく変化したのはウォークマンの登場だったかもしれない。若者の間で大変な人気を博し注目を集めたからだ。ドイツ人はやっと、日本人は人真似だけでなく独自の優秀な製品が作れるのだと理解した。そしてそのころから日本製品を見る目が変って行った。安かろう悪かろうのイメージが消え、日本のカメラはトップ・クラスに数えられるようになり、ドイツに輸入された沢山の日本製ステレオ装置やビデオ装置がドイツ人に喜ばれた。後になり、日本製の自動車がドイツ市場に登場した時、その品質を疑う声は殆ど聞こえなかった。品質はいいに違いない。ただ、デザインはどうか、日本車の持つイメージはどうかだけが問われた。

現在、日本車は先端技術を導入した環境に優しい車が多く、また消費者の期待を裏切らない車とされている。毎年ドイツで行われる車の満足度テストで、日本車は数年来トップ10位をほぼ完全に占めている。日本にはハイテク国のイメージが付けられており、ドイツにとって手強い競争相手と見なされている。

一時熱狂的なファンを集めたたまごっちや種々の大小電子ゲームは若者の日本のイメージ形成に無関係ではないだろう。漫画やアニメを楽しむ人たちも増え続けている。どこから取った名前なのか「トウキョウ・ホテル」と称する少年のボーカルグループが登場するところでは今、女の子たちの歓声が絶えない。和太鼓の演奏に観客が集まったり、日本映画祭が催されたり、日本文化も能と歌舞伎だけでなくなってきた。寿司もすっかり一般化している。

そして1980年頃には全国で400人といわれていた日本語学習者の数が現在は5000人に増えている。日本語学習者が目立って急増したのは1990年前後だ。日本語は大学や特別な教育機関だけでなく、高校でも教えられるようになった。

これだけ日本が時間を掛けてドイツ社会に浸透して来たことを考えると、「日本年」のような催し物は日本に関する知識を広めたり深めたりするのには役立つが、イメージを作り替えるには足りないことがお分かり頂けるだろう。イベントに関するテレビ番組や日本関連のテレビ番組にも同様のことが言える。しかもいずれも、どんなに沢山の番組・催し物を提供しても、人々が面白そうだと思わなければテレビは見ないし催し物には出かけて行かない。イメージ・チェンジに影響するのは並大抵のことではない。

「日本におけるドイツ年」がドイツ人の望んでいたようなイメージ・チェンジに繋がらなかったこと、或はドイツ人が、日本人が持っているドイツのイメージはもう少し良くてもいいのではないだろうかと考える背景には、自国と比較になるフランスやイタリアの日本での良好なイメージがある。では、これら両国はドイツとは大きく違う「日本における--年」を実行したのだろうか。日本のメディアはこれら両国に関連した番組にももっと時間を割いているのだろうか、筆者はそう思わない。

そうではなく、やはり製品として日本にやって来た両国の文化が大きく影響しているように思われる。まず、日本人の大好きなファッションがある。高級品、羨望の的としてのクリスチャン・ディオールやイブ・サン・ロレーンの製品は日本人に尊まれ、ピエール・カルダンの名前も手ごろに買える素敵なファッションとしてずっと長くから多くの日本人に親しまれてきた。彼らデザイナーがフランス人であることは周知のはずだ。ルイ・ヴィトンのバッグなども新製品が発売されると東京でもパリでも店の前に日本人の行列ができると聞く。若者に、魅力的で頑張れば自分も買える製品と認識されているからだろう。次に日本人の大好きな食べ物がある。グルメという言葉などは日本語になっている。凝ったフランス料理、高級フランス料理店は昔から贅沢と同意語のように思われていないだろうか。そしてフランスのワイン。赤ワインは健康にもいいと聞いてボルドー・ワインに手を出す日本人は増えたはずだ。

優れた物、日本人の興味をそそる物を提供して、その製品の生産国を好きにさせてしまう。そしてその国にもっと興味を持ってもらう。これがフランス流だ。

イタリアの場合も似ている。イタリアが得意とするのはやはりファッションだし楽しく美味しい料理だ。イタリア料理店は東京だけでも1000軒を越すと聞いた。そしてイタリアには美味しいワインもある。

ドイツにもいい物は沢山ある。世界中の人が好むクラシック音楽はバッハやベートーベンなどのドイツ人作曲家の手になる物が中心だ。ただ、ベートーベンの第九などは日本であまりにもよく知られてしまい、音楽を聞く度にドイツと結びつける人は少ないということはないだろうか。ずっと以前から知られており、新鮮味がないことは確かだ。

ICFP―Japan の調査で、ドイツと聞いてまず連想するものが「自動車」、「ビール」、「第二次世界大戦」というのは非常に興味深い。ドイツには確かに性能も見た目もいい車があり、ポルシェなどは世界中の若い男性の羨望の的になっているようだ。背景に丁寧な報道や上手な広告があるのかもしれない。ビールが挙がっているのは、日本人がビール好きであることを示していると思う。きっと美味しそうにビールを飲んでいるドイツ人の絵が目に浮かぶのだろう。そして自分も飲みたいと思う。第二次世界大戦がドイツのイメージに結びついている原因は、明らかに、日本のメディアが好んで「ドイツと第二次世界大戦」というテーマを扱うことにあると思う。筆者は新聞記者をしていた時、編集局や他社記者がいかにこのテーマを特別扱いしていたかを経験した。大きくはこのテーマに関連のあるネオナチのニュースなど、些細なことでも直ぐ記事化された。また、例えば英国では、第二次世界大戦に関するテレビ番組が今なお多く、そこに登場するドイツ人は皆悪党ナチのため、一般英国人の中には現在のドイツ人もナチだと思っている人が少なくないそうだ。二、三年前に英国のハリー王子がナチのシンボルである鍵十時のマークを付けて在る仮想パーティに登場、大問題になり、新聞の一面をうめた事を記憶されている方もおられると思う。英国人もドイツと聞いてまず「第二次世界大戦」を連想することに間違いはない。

ドイツ人自身が現在まで第二次世界大戦を、これでもか、これでもかと思うほど繰り返し繰り返しドキュメンタリー番組や新聞・雑誌でテーマにしていることは事実だ。場合によってはそれが昨今の出来事であるかの印象さえも受けかねない。しかしこれはあくまでも、あの戦争の恥ずかしい経験を二度と繰り返さないための戒めとして放送しているものである。もうそろそろ、そういう番組は止めてもいいのではないだろうかという声も時々あたる。だが、そういうことを話すこと自体が間違っているという声の方が大きい。英国の態度は異なる。英国の場合はドイツに対する優越感を保持するために利用している嫌いが少なくないのだ。日本の場合は、第二次世界大戦に対する日本の責任の相対化に利用しているのではないかとの疑いが拭いきれない。戦争を始めたのは日本だけではなかったと。しかし中には、ドイツの戦後処理を好例として紹介する番組があることも事実だろう。

種類が非常に豊富なドイツの「ソーセージ」も日本人の口に合う食べ物なのだろう。「サッカー」はドイツの国民スポーツではあるが、ドイツ特有のスポーツではないことが、ドイツのイメージとそれほど結び付かないと考える。

なお、ドイツのイメージがなんとなく冴えない理由をもう一つ挙げる。ドイツ人自身が長い間ドイツが好きでなかったことだ。第二次世界大戦に関する羞恥心がそれを許さなかったのだ。あんな野蛮な非人間的な行動を取ったドイツ人でありたくない、と思う気持ちが1968年の学生運動のころからより強くなった。国旗を振りかざしたりする人が現れると、国粋主義者ではないかと心配した。それがこの夏初めて変わった。ワールドカップ大会で大勢のファンたちが軽い気持ちでドイツの国旗を振り回した。国旗を振り回すことが初めて恐ろしくも恥ずかしくなくなった。そのことをドイツ社会は安堵の気持ちと喜びをもって認めている。そしてドイツ人はドイツが少し好きになったようである。

自分の好きでない人を他人は好まない。だからドイツも今まであまり誰からも好かれなかった。それがこれから変って行くかもしれない。ドイツのイメージも大きく変る可能性がある。調査によると、ワールドカップでドイツを訪れた旅行者の90%がまたドイツに来たいと答えたという。スポーツ記者の金子達二氏は「できることなら足を踏み入れたくない国をあげろといわれたら、私にとってのダントツはドイツだった。ほんの数ヶ月前までは。ワールドカップ(W杯)サッカーを観戦するために、5月下旬からフランクフルトに滞在してきた今、私にとってのドイツは「今すぐにでも訪れたい国」の1位に昇格している」と書いている(朝日新聞2006年7月26日)。

テレビが外国のイメージ形成に役立っていることに疑いはない。しかし、テレビは ―大きくはあるがそれでも― モザイク細工を組み立てている石の一つにしか過ぎないし、そうあるべきだ。「日本におけるドイツ年」も一個の石と見るのが妥当だろう。一つの国のイメージは他の多くの要素からも成り立っている。だがそれは、テレビ番組の内容がどうでもいいということとは全く違う。時間を掛けた沢山の偏らない番組がゆっくりとその国の正しい姿、イメージ形成に貢献すると考える。

野尻 紘子

ドイツ在住 フリー・ジャーナリスト

1942年生まれ。1958年父親のドイツ赴任に伴いドイツの高校に編入。 1963年ベルリン工科大学に入学。1964年日本に帰国し、国際基督教大学教養学部に入学。 同大学卒業後、1967年からベルリン国立美術館に学芸員として勤務。1990年ベルリン自由大学で哲学博士号を取得。同年から日本経済新聞ベルリン支局に記者として勤務。2002年からフリーランス・ジャーナリストとしてベルリンに在住。

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